2008年07月29日

今日知って驚いたこと

春風亭昇太と嬉野雅道は同い年、という事実。

昇太って来年50歳なのか

2008年01月27日

渋い似た者

木村洋二って小沢昭一に似てる。

2007年02月09日

「水曜どうでしょう好きに共通する論調」に迫る

 水曜どうでしょう好きの友人たちは、決まって飲み始めて3分ぐらいすると、どうでしょう話を始めるのだが、『どうでしょうカルトクイズ』で観たどうバカたちの論調とあまりにかぶるのだ。どうでしょう好きの論調って、みんなこうなの?
 具体的にどんなものかというと……。

・「鈴井さんのことをミスターと最初に呼んだのは212だ」「後に藤村Dが4人分の料理を出させるようになった」などのルーツ話が好き。
・「ヤラセがすばらしい」「キャプションが深い」という主張。
・すぐ名ゼリフを会話中に用いる。
・「四国のエチオピア饅頭て名前がいいよね」「それに、輪島塗の般若ループタイとかね」と、意味のわからない物について語り合う。
・「まずはDVDの副音声を勉強すべき」と説く。
・「最初は〇〇が好きだったけど、やっぱり……」と、自分の中の思い入れの変遷を語る(最初は大泉さんだったけど、やっぱり嬉野さんだね、みたいなやつ)。
・どうでしょうにおける「バラエティー番組」というもののとらえ方、世界観の深さをほめちぎる。
・いくら語っても足りないという(その時点ですでに数時間経過していたり)。
・「知ればもっと面白い」と他人にすすめるのに、わからない語呂などをあえてそのまま説明なしに使う。
・大泉洋の悪口を自分で言うくせに、便乗して他人が言うと「おまえは何もわかってない」と言う。

 皆さんは、そして皆さんのまわりのどうでしょう好きは、どうですか? 
 上記の例に「そんなの当たり前じゃん」という人がやっぱり多いのでしょうか。もうちょっと若い、sakusaku世代はまた、別なのでしょうか。
 そして、「DVDの副音声くらい勉強しないとダメ」でしょうか。西表のDVDも発売されることですし。

元ネタ:「ガンダム好きに共通する論調」に迫る | エキサイトニュース
 多分これ、あらゆる世界の「マニア」に当てはまることだと思う。

2007年01月09日

頭の悪いテレビ番組の作り方

 「CMの後、いよいよ!」が嫌いだ。
 大物ゲスト登場!とかクイズの解答はCMの後!とか上島竜平が珍味○○を食べる!とか。
 そういうコマーシャルの入り方を見ると、その時点でチャンネルを変えるわけです、私は。実に姑息な手段じゃありませんか。しかも、そういう引っ張り方をしてるほど、結果は大したことがないのね。週刊誌の袋とじ企画と同じですよ。

 結局さあ、「さあ、これから面白いことがおきますよ」というフリから、「実際の面白いこと」への流れっていうのがあるわけです。見ている側の昂揚というかワクワク。そのワクワクがCMの2分間も持つかっていったら、持つわけ無いですよ。2分間もテレビの前でワクワクしていられる人なんて、今の日本にはいないでしょう。頭の悪いテレビ制作者の方には、それが分からないんですよ。テレビが「王様」だった80年代で時代が止まってしまってるんでしょう。

 で、最近気付いたんだけど、面白い番組ほど、こういう引っ張り方をしないのですね。「水曜どうでしょう」もそうだけど、淡々とCMに入る番組ほど面白い。あれ、なにかって言ったら「面白さの自信」なんだろうなあ、と。無理な引っ張り方をしなくても、視聴者を引きつける自信が、こっちにはあるぞっていう。そういう番組は堂々としていて、面白い。
 「CMの後、いよいよ!」が多い番組ほどつまらなくて、少ない番組ほど面白い。この法則は多分、間違っていないと思います。

2006年08月19日

嬉野さん日記(鑑賞する人の努力)

 う、昨日の嬉野日記は秀逸だ。
過剰→に期待して→「ちんけな展示品」→を前に→して落胆する。
だいたいこれが、一般的にありがちな反応パターンですね。

これではいけない。
ではどうするのか。

まったく期待しない→で出かけて→「ちんけな展示品」→に過剰に反応→して感激する。
これです。
 以前からどうでしょうのディレクター陣は「期待」と「期待のインフレーション」についてよく考えていると思っていたけれど、今回も秀逸。
 こういうのって実は、普通の美術館とか博物館にも言える事で、つまり鑑賞というのは「対象物と自分との関係性を築く事」ですからね、鑑賞者の努力というのが必要な場合が多い。そういうの無しにガーンと心の中に入ってくる作品もあるけれど、それは余程の物なのだと思う。それに、そういう物を受け入れるためには精神が開いた状態じゃなければいけないわけで、その、精神のコントロールっているのは鑑賞者の責任だからね。
 今回の嬉野さんのように「あらかじめ精神を開いておいてね」という呼びかけは面白いなあ。去年の祭の時も、事前の呼びかけとかがすごく上手かった覚えがある。

2006年05月19日

ヤスケンがブロガーだったら

「ブログねぇ…ブログの名物は、なんですか?」

「はぁ?」

「ブログにいいトコあるんですか?」

「…」

「なんとか言えっ!」

「コメント欄とか、ありますよ。」

「コメント欄?コメントねぇ・・・」

「…」

「コメント…コメント欄は、燃やしますか?」

<炎上>

from「水曜どうでしょう」対決列島第9夜in佐賀

2006年05月12日

笑うと屁が出るんだよ

 どうも今日はお腹が張っていて、笑うとオナラが出ます。
 2回笑って2回おならが出ました。

 人の事を「うんこのおじさん」とか言っていられません。

 「笑い屁」の権威、藤村忠寿先生によると、笑うための空気が行き場を無くして屁になるらしいのですが、どうなんでしょうか。

2006年03月23日

人相

 藤村さんと嬉野さんの2ショットをPCの壁紙にしている。
 それを見た元上司いわく、
 「なんか悪いことしそうな顔やな」

 多分、藤村さんの方でしょう。

 参考

2006年02月24日

大泉洋概論「テレビ批評家としての大泉洋」

 先日、大泉さんが「さんまのまんま」に出演していました。その中で、明石家さんまにスープカレーを食べさせていた。

さんま:言うほどおいしくない
大泉洋:この場がちょっと面白ければいいという感覚で、そんなリアクションして欲しくない

 こういうやりとりが面白かったのだけど、その時に思ったのは「この人は、テレビの嘘・芸人の嘘が分かってる人だ」ということ。
 テレビには演出という名の嘘がある。芸人の芸には嘘がある。たとえば、熱くないおでんを「熱い!」と大げさに言ったり。
 大泉さんは、視聴者として、そういう嘘を見破っている。彼の突っ込みというのは、「ボケに対する突っ込み」ではなくて、「テレビの嘘に対する突っ込み」だ。
 視聴者の誰もがもう既に気付いていて、だまされたフリをしている嘘。そこに、大泉さんは突っ込む。
 だから、見ている側が強く共感できる。

 副音声で大泉さんは「今のテレビには人が映ってない、映ってるのは脚本家が書いた本だけ」と言っていた。秀逸である。
 多くの視聴者はそれに気付いている。今のテレビがつまらないのはまさにそこである。できあがってしまったテレビの枠組み。それにそって作られたテレビ番組。だからつまらない。
 その、「テレビがつまらない要因」を視聴者としての大泉さんはよく理解している。

 そういう部分、普通のタレントが突っ込まない、突っ込んではいけない部分に、彼は突っ込む。

(以上、2006/2/24にmixiに書いた物。一部加筆修正)

2006年02月16日

ついでに大泉洋。

re-oizumi.jpg

万年筆をしばらく使っていなかったので、たまには少しインクを出した方が良いと思い、新聞紙に大泉さんの似顔絵を描いてみた。それだけ。

2006年01月19日

大泉洋と演芸

 当初、大泉洋は「リアクションのためのタレント」だったのだと思う。しかし、いつからか、彼は「面白いことを言う人」になった。

 2005年新企画の、企画発表の映像を見て思ったけれど、彼自身も「番組を引っ張ってゆかなければいけない」という責任感を強く持っている。「撮影中、出演者・スタッフの中で『どうでしょう』がテレビ番組だと認識してるのは大泉洋だけ」というのは、自他共に認めていること。
 番組の企画が破綻しかけた時、企画がゆるすぎて視聴者が離れそうな時、そんな時に番組を番組として成り立たせているのは大泉洋だ。彼が居なければ、どうでしょうは正に「サークル仲間の旅行」だろうと思う。

 彼の言う「おもしろいこと」は、実は結構しっかりしている。薄っぺらな笑いではなく「しゃべくり」として立派に成立した「演芸的な笑い」だ。
 番組中でも、落語家・古今亭志ん生のエピソードについて語ったことがあるけれど、彼は恐らく、今までに多くの演芸に触れているのだろう。彼自身テレビっ子であることを認めているけれど、結構渋い演芸番組を若い頃からチェックしていたのではないか。
 2005年新企画では、前枠後枠の「青タイツ茶タイツ」、この最後に語られる「ダメ出し」の台詞の言い回しに、彼の「演芸家」としての才能が現れている。

(以上、2006/1/19にmixiに書いた物。一部加筆修正)

2005年12月28日

何故最近のテレビ番組がつまらないのか

テレビ局はデジタル化という多額な設備投資が必要な時期に突入して、「制作費の削減」と、デジタル化によって「更なるソフトの量的な充実」という相反する作業を求められて、時間と労力を省力化した「撮って出し」の手法に頼らざるをえないのであります。

そんな中で、夏に撮ったものを冬に出す、即時性どころか季節感にもまるで無頓着な「どうでしょうさん」は、時代に逆行しているなぁと。
2005/11/17藤村Dによる日記(水曜どうでしょう公式HPより)
 最近、僕もここら辺のことを考えていたのです。少し違うんですが、この秋からTBSで始まった「リンカーン」というお笑い番組を見ていて、いかに今のテレビ番組がダメかと言うことを感じたのですね。
 ものすごくお金かけてるんですよ、豪華なタレントを呼んで、でかいセットを組んで。でも、全然面白くないんです。その番組に限らず、ゴールデンタイムの番組の多くがすごくお金をかけていながら、すごくつまらない。

 それはつまり「コスト」というものの考え方に問題があるのではないか、と。コストをかければ面白いものができる、と信じ切ってしまっている。
 コスト(お金)を「どれだけかけるか」という事にばかり目が行ってる。
 「どのような」コストを「どのように」かけるか、ということを考えていないんです。

 どうでしょうについて言えば、お金はかけていないが「時間」というコストを存分に注いでいる。つまり編集です。そして時間というコストは、大手のテレビ局ではかけられないんではないかと。忙しさが違うと思うのですね。藤村さんがヒマだって言ってるんじゃないですよ(笑)
 金はないけど時間はある。じゃあ、時間と頭を使って最高の番組を作ってやろう、という。そこから産まれたのがどうでしょうなんじゃないか、と。

※mixi内コミュニティーに投稿した物の転載(一部書き換えています)。2005/11/18記。
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