2006年01月11日

夢のスーパー・グループ

夢のスーパー・グループはレッド・ツェッペリン

 「ふーん」という感じ。高校生の頃ツェッペリンは少し聴いたけど、何とも思わなかった。ディープパープルは好きだったけど。
 そうなのかー、人気あるんだなー。しかし、どうもハードロックとかヘビーメタル寄りで、僕は基本的にここら辺を偏愛する人の音楽センスを信用していないので「ふーん」としか思わないのだった。だいたい、ロバートフリップ先生が入っていないというのはおかしいような気がするのだ。

 僕が選ぶとしたらこんな感じ

・ボーカル:岡村靖幸
・ギター:山口隆(サンボマスター)
・ベース:細野晴臣
・ドラム:森高千里

 山口隆は、演奏も好きだけど、あのディストーションのかけ方、音の歪みが絶妙だと思う。彼はジャズが好きらしい。そういう下地がなければ出せない、温かく切ない歪みだと思う。というか、今のギタリストって「ギターの音は歪んでいて当然」と思ってる節があるんだけど、山口隆は「必然性があって歪めている」感じ。

 ドラムは、最初「ドンカマ(リズム・マシーン)」にしようかと思ったんですが、やっぱり森高千里。モリタカのドラミングって「ジャストなリズムとリンゴ・スターの中間」なんですよ。要は「ヘタウマ」なんだけど、そのバランスが良い。独特のグルーヴがあって、しかも自己主張が強すぎない。

2006年01月10日

アンチmixiとか

 アンチmixiの人の気持ちって、なんとなく分かる。
 やってない人が「大きな会員制コミュニティー」に反感を持つのは普通だ。
 男が「レディースデイ」に持つ反感みたいな物か(ちがうか)
 気持ちは分かるし、mixiに肩入れする気もないんだけど、僕が一番楽しく読んでる日記は、mixi内のそれだったりする。

「自分の視点」と「他人の視点」

 今日はちょっと、ある人に噛み付いたのですが、僕がずっと疑問に思っていること。

 みんな「自分の視点」と「他人の視点」を持っているのだろうか?ということ。

 つまらないブログが沢山あるじゃないですか。ああいうのを書いてる人は「自分だったら、ここを読むか?」っていう視点を持っているのだろうか?
 アフィリエイトをしている人は「自分が、このブログを見て、これを買うか?」って考えているのだろうか?
 「ブログの書き方が分からない」とか言う人は、つまり「自分はどんなブログを読みたいのか?」って事を考えたことのない人だと思う。そういう人が「ブログ入門」みたいな本を買っちゃうんだろうなぁ。

 「書くのが好きな人」にも実は同じようなことが言えて、立派な文章をダダダダーッと書いてるんだけど、めちゃくちゃ読みにくいブログってのも多い。
 そういう人は「他人の視点」をもっと持った方が良いように思う。

 でも、まず大事なのは「自分の視点」だ。自分が何を読みたいのか、何に感銘を受けたのか、何をクリックし、何を買ったか。それを整理してゆけば、自分なりに「良いブログの運営方法」が分かってくると思う。

 そんなこともできない奴はダメだ。と僕は思う。でも、そういう人が多いんだろうな、とも思う。
 あれは何なんだろう?例えば恋愛してると、普段ならできる冷静な判断、つまり「何をしたら嫌われるか?」とか「相手に好意を持たれているか?」とかの判断ができなくなったりする。
 そういうようなものなのか?

2006年01月05日

web上でのゆがんだ愛情表現

 特定して誰の、と言うわけではないんだけど、ブログ上で、ブックマークコメントで、「ゆがんだ愛情表現」が散見される。
 ひどく気持ちが悪い。気持ちが悪いというか、気分が悪い。
 好きなら好きだといえばいいし、嫌なら冷たくすればいい。なんでこんな所でまで、はぐらかしたりしなければいけないのだろうか。
 良いことを書いていれば評価すればいいし、違ってると思えば反論すればいい。
 なんか、めんどくさい。直球で勝負しない人のことを、僕自身は好きにはならないだろう。

ブックマークされにくい記事を書く

 僕は結構意識して「はてなでブックマークされにくいような記事」を書いているような気がする。それは、インターネット上のコンテンツに執拗に「意味」を求めるような人に対する反抗なのだろうか?
 単なる日記の中に、web論っぽいことを書いてみたり、なんかそういうのは僕の反抗心の現れなのだろうか?それとも単なる自己顕示欲なのか。

僕が最も嫌うアホ

 僕が一番嫌いなタイプのアホがいた。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/2005best20_c697.html

 このコメント欄、2006年1月 5日 午後 02時41分にコメントしてるアホ。
なんか知らんけどここにたどり着きました
記念パピコ
 僕はこういう人間が嫌いで、「言いたいことがないんなら黙ってろ」と思う。
 でも世の中には「言いたいことなんか何もないのに、何か言いたい人」が溢れているのだろうなあ、と思う。
 そういう多数派に、僕は絶対に嫌われる。好かれるよりは良いけどさ。

本当に興味のあること

 年始最初の更新をしました。
 いきなり、立花ハジメと歌舞伎の話で、まあおそらく誰も興味を持たないだろう、と言う題材。
 古典芸能だったり、音楽やサンプリングだったり、「水曜どうでしょう」のコアな分析だったり、そういう僕が結構本気で好きなことについては、たいがい誰も食いついてこない。
 実はブログ論になんて、僕はあんまり興味を持っていなかったりするのだけれど、そういう記事への反響がすごい。
 まあそういうものだ。別に悲観するわけではなく、そういうものである、と思う。でも、読んでくれている人との間に、溝を感じることは多い。

2005年12月29日

ATOK

「うるせいやつら」と入れて「うる星やつら」と変換されるのは、ある意味ダメな変換ソフトだと思う。

2005年12月28日

馬鹿は死んでも治らないのだろうか

 昨日、ありがたいコピー&ペースト・コメントを頂きました。
 あまりに嬉しかったので、先方にコメントを残してきました。
こんにちわ!
「温泉」でブログ検索して、記事も読まずにコピペコメントを残してくれて、ありがとうございます♪
 このイヤミは通じるのだろうか?
 通じたとしても、より巧妙なマルチポスト用コメントを作るだけなんだろうな。

※その後、私が投稿したコメントが消されたことからも確信犯だと判断し、gooに通報しましたとさ。

 昨夜、こんな夢を見た。

「押尾学と実際に付き合ってみて、彼が本当に天才だとわかり、激しく尊敬する」

 そんな夢。
 本当にろくでもない夢だ。
 初夢じゃなくて良かった。

参考:永遠のヒーロー、押尾学による魂の名言を心に刻め!

2005年12月27日

そりゃただのコンプレックスなのだが

 僕は英語が不得意なので(高校の時は赤点ばかり取っていた)コンプレックスを持っている。だからこそ思うんだけど、日本語で書けることを横文字で書きたがる人って、何なんだろうか?
 と、今日もこの記事を読んで思った。

瀬尾佳美BLOG: 温泉情報の価値

 記事自体は面白いと思う(尻切れトンボだとは思うけど)プラシーボ効果のようなものを、その結果からあえて肯定して、じゃあ、どうしましょう?という話だ。

 でも気に入らないのが「Substantial な違い」なんていう書き方。その後に出てくる「実際的な差」との違いは何なんだ。同じだろう。だったらかっこつけて横文字にするなよ、わかりにくくなるだけじゃないか。
 僕には、こういう人の神経が分からない。「こんな単語は知ってて当たり前」と言うことなのだろうか。「こんな言葉も知らない奴は読むな」ということか、それならそれで、立派な姿勢だとは思うが、しかし不親切だとは思う

戦場のメリークリスマス

 色々な人にカバーされた戦メリについて。
http://www.flowerlounge.com/sb/log/manychristmasmrlawrence.html

 これで思い出したんだけど、1995年の年末、クリスマス近くにダウンタウン「ごっつええ感じ」が放映された。
 2時間だかのスペシャルだったと思うんだけど、記憶が定かではない。もしかしたら通常の放送枠だったかも知れない。

 その日の最後のネタは「ヤスシくん」、松ちゃんが横山やすしの物まねをするネタである。当時、横山やすしは完全に落ち目で、というかもう芸人として再度出てくることはない存在で、そう言う人をネタにすることで、多分ダウンタウンは内外から相当批判されていたろうと思う。でも、松ちゃんは、何度かに渡って、あのネタをやっていたのだった。

 この日は、愛機であるセスナにヤスシくんが乗っているコント。最初は良い気分でセスナを運転しているが、羽根やエンジンが壊れ、最後には飛行機がバラバラになってしまう。
 そして、松ちゃん扮するヤスシくんが最後に放った台詞が、

「ヤスシくん、死ぬ!」

 その言葉を残して、彼は飛行機を飛び降りる。
 それが、その日の、そしてその年の、ダウンタウンの最後のネタだった。

 このコントの後、エンディングで流れたのが教授のピアノによる「戦場のメリークリスマス」だった。冬の野外で、悲しそうな表情で一人ピアノを弾く教授の姿が印象的だった。僕は「いつもの『ごっつ』とは、ずいぶん違った終わり方だなあ」と驚いた。

 明けて1996年の1月に、横山やすしは肝硬変で死んだ。

・参考:横山やすし - Wikipedia

そこに注目するなよ!

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://lsty.seesaa.net/article/2810177.html

 mozyさんに突っ込むために、ブックマークした所、もう1人にブックマークされてしまった。
 こんな記事を「注目記事」にするなよ!と思って、僕のブックマークは消しました。
 さらされたらさらされたで良いんだけどね、しかしまあ、「こんな記事に注目してどうするよ!」って感じですからね。

2005年12月26日

そんなことはいいから、とりあえず恋をしろ

真の非モテとは何かというと、「まだ見ぬ女に対して『こんなやつとは付き合いたくない』とか言いたがる奴」なのではないかと思った。

恋をするのは難しくなんかないよ。「寂しい」という気持ちさえあれば、恋なんていくらでもできるように思う。例えその恋が幻想であってもだ。

笑い飯の魅力

 M−1に関連して面白いこと書いてる人いないかなあ、と思ってブログ検索してみたんだけど、全然ダメだね。「おもしろかった」しか書けないんだったら黙っておけばいいのに、と思う。

 いやいや、そんなことが書きたかったんじゃない。かつて一度書いたことがあるんだけど「笑い飯」の魅力について。
 彼らの面白さは「シュールさ」なんていうヘナチョコなものではない。それに、それだったら松本人志やラーメンズの方がよっぽど勝っている。
 笑い飯の魅力は「フェロモン」だと思う。中学生の「面白い人気者」がそのまま大人になったような、いや、見た目は大人だけど実は中学生なんだ、というような、悪くて、面白くて、はしゃいでいて、若い感じ。
 体の中から、そういうフェロモンを出している。
 あのフェロモンを嗅いでしまうと、どうしたって無防備になってしまう。
 そうして、笑ってしまうのだと思う。

捨てハン

 僕はブログにおける捨てハン(名無しとか、通りすがりとか、その場限りのハンドルネーム)が嫌いで、そういうコメントは大概無視するんだけど、なんか妙に良いことを書いてる人もいる。
 そういうのを見るともったいないなあ、と思う。
 特に反感を買うようなコメントでもないのに「ななし」で投稿している人を見ると、不思議に思う。
 あの人たちは、なぜ「ななし」で投稿するのだろうか?
 それが、彼らにとっては当たり前のことになっているのだろうか?であれば、その「彼ら」とはどんな人なのだろうか?掲示板を主な住み場所にしている人なのか?
 あるいは、単に彼らは「縛られたくない」だけなのだろうか?縛られたり、評価されたり、頼られたりすること自体が苦痛なのかも知れない。
 外国に行った時のように、「自分を知るものは誰もいない所」に行きたいと思っていたりするのだろうか。

そこに萌えてどうする

 テレビ静岡(テレしず)が年末の配りものに持ってきた卓上カレンダーには「富士萌え」と書いてある。
 そんなものに萌えてどうする!?と思ったが、これは日本が再度ナショナリズムに向かっていると言うことの暗示なのだろうか。
 恐ろしいことです。
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