好事家(こうずか)、つまり物好きな人というのは好奇心が強いから要らぬ所に首を突っ込み、思わぬひどい目に遭いやすい。「犬も歩けば棒に当たる」のようなことだが、これを「好事魔多し」という。
てなことを高校の頃に先生から聞いたような気がするのだが、実際には「好事魔多し」は「こうじまおおし」と読み、全然違う意味だと知った。
あの、高校の頃の記憶は何だったのだろう。
あるいは、先生は「そのように誤解されやすい言葉」として紹介したのだけれど、話の後半を聞かずに、誤用の形で憶えていたのかも知れない。
「いや今、あんまり静かだから」これじゃないのかなあ。違うかなあ。
「それはこちらが何も仰しゃらないからよ」
「そうじゃない、この家の外が静かなのさ」
「本当ね、しんとしているわね」
「しんと云う音が聞こえるだろう」
「あら、そんな音は聞こえやしないわ。何も聞こえないから、しんとしているのじゃないの」
「僕には聞こえるんだがなあ」
私はたて続けに二、三杯酒を飲んだ。内田百間「山高帽子」筑摩書房ちくま日本文学(2007年初版)p123-124
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