・
DOG ON THE BEACH - 借り物の祝祭 この日記の前半を読んでいて、よさこいソーランの不快さを思い出した。ああいうヤンキー臭全開の学芸会が日本の祭りの代名詞のようになりつつあるってのは、耐え難い事だ。派手で音が大きい物はやはり文化として「強い」んじゃないかと。なんか全国いろんなとこに出張してるみたいだし、そりゃ浸透するだろうなあ。
しかし、今も昔も地元の祭りを支えてきたのはヤンキーでありチンピラである、ってのも事実なんでしょうなあ。そういう人たちのニーズに適ったよさこいソーランみたいなものが、彼らの手によって広められているという事を、一方的には非難できないよなあ、という気もあるのです。
僕自身は日本の祭りに具体的な貢献をしたことがないしね。
ヤンキーのみなさんが支えてきた日本の祭りを、自分たちの手で変化・変容させてるって事だと思うんですよ、多分。
ただやっぱり僕としては許容しがたい部分があるなあ。ああいうものを子供の頃から見てると「お祭りの踊りというのはああいうものだ」って思えちゃうでしょう。むしろサンバカーニバルみたいに「明らかに日本のものではない踊り」の方がマシだと思う。
北海道新聞2007年6月9日付が報じた「YOSAKOI好き? それとも嫌い?」というアンケート調査によると、「好き」と答えたのが45.3%に対して、「嫌い」と答えたのは53.6%と、「嫌い」と答えた割合が過半数を超えている。
なんとなく思ったのは、文化的コンプレックスみたいなものが、ああいう文化を生んだのかなあ、という。つまり、後発の「文化」が伝統的文化に対抗するためには、強く派手でなければいけないというような。
なんとなく創始者の
長谷川岳という人のwebページを見ると、なんとも自己啓発的だ。そういう臭いがプンプンする。
ヤンキー性と自己啓発は相性が良いのかな、とか思う。基本的には単純なのだろう。単純に考えた方がうまく行くこともある。
経営者には自己啓発好きが多い。人間として複雑だと経営なんてやってられないんだろうと思う。それはそれで正しいとは思う。
あ、この人、愛知県出身なんだ。なんとなく納得してしまった。
結論としては、よさこいソーランみたいなものを好きな人がやる分には黙認するが、私の生活圏内には入ってこないでくれ、というようなことです。