・「私が好きな松永さんが、過去に宗教に入っていたって問題ない」という思考、そういう物を感じる
・松永さんが、最初から「元オウム信者」を公言していたら、彼に対する信用や、評価はどうだったか
・本当に「過去は関係ない」と、思っているのか
・経済学の学者が盗撮をすること、言論人が宗教にはいること、どちらが重いか
・私に関して言えば、
・そもそも私は「オウム真理教が悪い宗教だったのかどうか」に答えを出せない
・人を殺したから悪い、という答えは正しい。しかし正しいだけに薄い答えだと思う
・元オウム信者であることを知って、多分、僕の松永さんに対する評価は上がった
・(前提:私は彼の書いた物をほとんど読まないし、彼に対する評価はほとんどしていなかった。長い文章ばかり書く人だな、という程度。たまに読んで「ふーん」と思う程度)
・僕がオウム信者に抱くイメージ「真面目で、使命感があって、頭が良い人」
・自分や社会について真剣に考えていなければ、新興宗教、特にオウムのように攻撃される宗教には入らないだろう、と思う
・オウムに対するイメージは「実践的で、社会の革命を目指していた宗教」で、そこには強い使命感が存在していたのだろうと思う
・さらに「高学歴」、考えてみれば幹部だけなのかも知れないけど、頭のいい若い人の集団、という印象
・そういうことから、評価が上がった。
・また、松永さんの思想の背景として大事だと思う。多分、今の彼の中でも「オウムの思想において、これは優れた点だ」と思い続けている要素があるんだろうな、とか思う
・そういうのは少し読んでみたいなあ、とか
・ただ、それを書くと「まだ信者だ」みたいになるから書けないよなあ
・思想の自由、言論の自由って、あるようでないようなものだなあ
・むしろ「女子十二楽坊が好き」っていう方が、僕にとってはマイナスポイントだったりする
・うーん、これはどうでもいい話のようで、そうでもない。でも、それはブログ論の話になると思うのでここには書かない
・参考(失礼かとは思いつつ、TB飛ばします)
・J Blog: 松永氏のカミングアウトに対する反応のクリップ
・betatics: キーワード : 気持ち悪い
・上記2記事は偏向とか、ぺらいとか非難されているけど、果たしてそうなのか
・僕には、擁護派の思考の方が「ぺらく」見えるのだった
・結果として僕も「擁護派」というか「肯定派」という感じの意見になったのだけど