2007年01月29日

磯山さやかのスリル

 最近の磯山さやかを見ていると「普通のあご」が「二重あご」になるボーダーラインギリギリだと思えて、他人事ながらドキドキする。
 良い意味での「グラマー」と、逃げとしての「豊満」の間、と言っても良い。なかなかスリリングな位置にいる。

Beach Angels ビーチエンジェルズ 磯山さやか in サイパン
ビーチエンジェルズ 磯山さやか

2007年01月11日

工藤澪の驚異

・先日エロビデオ屋に行って「包茎を舐める女列伝」ってビデオを買ってきたんですが、これがなかなか面白い。
・で、このビデオの監督が工藤澪という人で、なんとこの前買って気に入った競泳水着フェチビデオ「HiP Pop Lovers」と同じ監督でした。
・で、この「包茎〜」にも出ている上原留華という人のビデオ予告編がまた素晴らしかったので、折を見て買おうと思います。
・この女の子は、柔らかい関西弁の子で、大阪とも京都とも違う、過剰でなく色っぽい関西弁。どういうわけかエロビデオで関西弁ってあまり聴かないのだけど、僕は良いと思うのでした。
・さて、この工藤澪という監督は、たぶん「触感フェチ」なんだろうなあ、と思うのです。
・こういう「フェチ道」を感じさせ、かつ趣味が合うなあ、と思うAV監督ってそういえば少ない。エロ漫画家であれば中之尾恵、TheAmanoja9、鷹勢優とか「ああ、この人分かってるわ」という人がいるけど、AV業界には意外といない。
・昔のユープランニングのビデオとか、良かったけどねえ。競泳水着の「裏地」を舐めたりするの、よく意味が分からないんだけど、いかにもフェチぽくて感心したものです。

(しかし「中之尾恵、TheAmanoja9、鷹勢優」ってジャンル偏りすぎ)

2007年01月06日

不快な音

kanimaster 携帯, life 生活騒音に対する過剰な嫌悪。
 kanimasterさんは「過剰な嫌悪」と書いてるんですが、少なくとも僕には「過剰」とは思えなくて、ああいう音は気になる。最近はDSだか知らないけど音出してゲームやってる人なんか特に気になる。「オレが聞きたい音はみんなも聞きたい音なんだ」とでも思っているのでしょうかね。音楽における電子音は大好きで、「矩形波フェチ」を自認している私ですが、公共の場での騒音としての電子音は嫌い。
 普通の人の感覚というのはどうなんだろうか。僕は食事中にクチャクチャ音を立てて食べる人も嫌いで、嫌いというか、人格は否定しないが一緒に食事するのは苦痛です。気持ちが悪くなってくる。これは過敏といえば過敏なのかも知れない。
 あと、以前も書いた覚えがあるんだけど「何かにつけて音を出す人」というのがいて、新幹線に座る時に「ドスン」、リクライニングを「ガタン」、大げさな咳払いを「エヘン」、席前のテーブルを「バタン」と出し、紙袋をわざと大きな音で「バサバサ」させて弁当を出したかと思うとビールを「ズルズル」飲みながら「クチャクチャ」と食事をする。こういう人の携帯着信音は決まって「大音量の着うた」であって、声もひそめずに「もしもし!」元気いっぱいに出るのです。「今?電車の中!」とか話しているので切るのかと思ったら席に座ったまま、大声で話し続ける。
 仕方なく音が出てしまう、その程度の音に目くじらを立てる気はないけれど、この手のおじさんは明らかに「わざと大きな音を立てるように行動している」ようにしか見えないわけで、本当に勘弁して欲しいと思うのでした。

著作権の保護期間延長に反対します。とか

著作権の保護期間延長に反対します
 ということで、僕は基本的に「著作権なんて無くなればいいのに」と思っているクチなので、喜んで協力することにします。
 無くなればいいのに、というか、既存の集金システムでは現状のメディアに対応できないんだから、もうちょっと考えろよ、という考えなんですが。しかしJASRACみたいな会社というのはそのまんま既得権益で食べているわけで、変革とか改革を自らするわけがない。だからYouTubeがそういう世界をぶちこわしてくれなければいけないんだろうと、去年はそういう事を思っていたわけです。
自分のホームページや、ブログをもっている方には、機会をみつけて、青空文庫と延長反対署名への言及をお願いします。
 この一文がなんか「余計なお世話」な感じですが。
 しかし青空文庫は良いですね。見た目は非常に地味なんだけど、webの素晴らしさ全開という感じで。
 そういえば昨日見付けたんですが、この浮世絵検索も素晴らしいです。
ARC浮世絵検索システム
 ブログでもそうだけど、webの中だけで完結してしまう話ってつまらないように思うのですよ。ブログ論とかもろにそうなんだけど、webの内部で発生して、そこで消費される情報というのか。でもweb上の情報ってそういうのが多いわけです。アナログな情報をたくさん持っている人ってwebにそういう情報をあんまり公開していないし。ブログがこれだけ普及しても、なかなかwebの外にある貴重な情報って個人レベルで公開してる人がまだ少ないように思う。
 そんな中で、こういうのはすごく良いなあ、と思うのでした。

2006年12月18日

「コラーゲン女」が嫌い

 この時期になるとグルメ番組でよく鍋が取り上げられる。
 あんこう、すっぽん、ふぐ。
 鍋を前にしたタレントが、あんこうの皮に近い肉を取り上げる。

「うわー、プルプルー!コラーゲンたっぷりですよー!」

 うるせーよ。グルメ番組に出てくる女に多いのは「やわらかい=おいしい」とか「甘い=おいしい」と思い込んでいる女で、もうこういう奴は何でもかんでも「やらかーい」とか「あまーい」と言ってりゃ済むと思っている。
 あれにも腹が立つのだけれど、最近は「コラーゲン女」の方が癇に障る。豚足にしてもフカヒレにしても、ゼラチン質の物が出てくると「コラーゲン、コラーゲン」言わないと気が済まないのだ、あの手合いは。

2006年12月08日

ちびまる子ちゃんの心理学

chibimaru.jpg
 以前「『女子』の心理」という記事の中で少し触れた「ちびまる子ちゃん」の事っていうのは学生の頃に思っていたことで、イラスト入りでノートに描いていた。

2006年11月28日

無駄語り

 何度か言っている通り、僕は競泳水着フェチなのだけれど、競泳水着を扱ったエロビデオで良い物というのは少ないのですね。一昔であればアド、ユープランニング系は良かったんですが。
 競泳水着物自体は増えてると思うんですよ。でも、ジャケットを見た限りでは作りが良くない。胸の所だけ切り抜いたりね、すぐに上半身は脱がしちゃったり。全然分かってないと思う。競泳水着フェチの多くは締め付けられた肉体に胸躍るわけですよ。さらに水着の生地の質感とかね。だからアップを多用しなければいけない。ロングショット中心の構成ではフェチものとは言えないだろう、と。
 そういうことを考えていたのですが、「無敵屋」というレーベルのものは結構良かったです。

2006年11月14日

恥と共に生きる。

 アクセス解析をちょこちょこ見ていて、そのリファラを辿って、かつて炎上した、あるテレビ関係者(元アナウンサー)のブログを見に行った。
 炎上したのってどんな記事だっけ?と思って見に行くと記事ごと消えていた。
 いかにもな感じだなあ。その人のブログが炎上した理由って「テレビ局の隠蔽体質」とか「身内に甘い」とか、そういうことだったと思う。記事ごと全部削除して「無かったこと」にする、なんていうのはそのまんま過ぎて可笑しい。
 過去があって今がある。その過去は必ずしも良いことばかりで飾られているわけではない。しかし、それがあって自分が今いるのだ。
 そういう事をなぜ受け入れないのか、なぜ全て「無かったこと」にするのか、僕にはよく分からない。堂々と生きる、というのは過去の恥を消し去ることではない。過去の恥と共に生きることだと、僕は思う。
 恥の多い人生を歩んでいますから、そう思うより他はないのです。

2006年10月13日

heartbreaking.周辺

人間外部(非知的)生命体 - hashigotanに関連して何か書こうかな。

 ここ数日heartbreaking.まわりが騒がしいのですが、僕としてはなんでこんなに話題になるのかがよく分からない。このブログを書いているhashigotanという人は昔からそういう人であって、誰かに過剰に近づいたと思ったら急に罵倒を始めて関係を断絶する、ということを繰り返してきた(僕には少なくともそう見える)
 僕に言わせればhashigotanというのは「そういう人」であって、今回の件も特別ではない。
 もちろん、そういう人だから何をしたって許されるわけではなくて、僕も今回の件については「そんなことわざわざ書かなくても良いだろう」と思うし「その大きな文字は趣味悪いだろう」とも思う。

 でも、hashigotanに対して「心配だ」とか「何かあったの?」とかいう言葉をかけている人を見ると、僕は違和感を覚える。ウェットすぎる。以前から「そういう人」なのだから。
 そんなのは余計なお世話という物であって、放っておけばいいと思う。

2006年10月05日

勝利宣言

人は何故、他人のブログのコメント欄で勝利宣言を書かずにいられないのか。
Posted by しんざき at 2006年10月05日 19:18
 やはり、しんざきさんは鋭いというか着眼点が良い感じだなあ。
 そしてこれは、こうも言い換えられる。
・ブロガーは何故、自分のブログのコメント欄で勝利宣言を書かずにいられないのか。
 まず、勝利への執着というのがあるんでしょうね。議論は勝ち負けのためにあるんだという認識。
 あとは、勝ち負け、というか「双方の意見のうちどちらに同意するか」っていうのは飽くまでも「読んでいる第三者が決める物」だという視点がない。勝ち負けとか正誤というのはある時点で固定される物だ、という考え方なんでしょう。
 そういうのって、まあ、なんというか短気で横着な生き方ですね。

2006年09月25日

馴れ合いとかいうもの

 積極的に馴れ合おうとする人というのは、結局、自分に自信がないのだろうとか思う。
 僕はそういう形で自分を卑下するのはいやだ。
 でも「俺は馴れ合いが嫌いだ!」と公言する人は、それはそれで信用できないと思う。

2006年09月13日

なぜシステム担当者はいつも不機嫌なのか?

 暫定ではありますが、社内のシステム担当っぽい仕事を少ししてみて見えたことがあるのでメモ。

・社内SEは「クレーム担当」である。
・みんな、社内システム・ネットワークは「動いて当たり前」の事だと思っている。
・もちろん、通常通り動いていれば誰も何も言わない。
・一般の社員が社内SEに話をする時、というのは社内システム・ネットワークにおいて「トラブルが起きた時」である。
・トラブルが起きているのだから、その社員はいらだっていたり、怒っていたりする。その話を訊くのは社内SEである。
・いきおい、社内SEというのは「常にネガティブな話ばかり訊く担当」になってしまう。

・このような、ネガティブな話ばかり訊いていると、人間というのはおかしくなる。
・クレーム担当、いわゆる「お客様相談室」の担当者というのは、通常、1〜2年、短くて半年で担当替えになる。そういう条件でないと、多くの人は異動に同意しないし、精神的におかしくなるからである。

・しかし、社内SEというのは技術職である。いわゆるクレーム担当のように、他部署からの異動でまかなえるわけではない。
・だから、定期的に担当替えをすると言うのは無理だ。
・だから、ずーっとクレームを訊いていなければならない。

・しかも、クレームを付けてくるのが「社外のお客さん」ではなくて「社内の人間」だから、余計にたちが悪い。
・彼らはめったに進化しない。いつまで経っても、レベルの低いクレームしか言ってこない。
・何度教えても、その知識を吸収しようとしない。「パソコンのことが分からない」のは、彼らにとって恥ずかしいことではなく、むしろ誇りのようである。
・彼らは誇らしげに「パソコンのことは分からない!」と宣言する。
・おじさんたちは口を揃えて「近頃の若い者は、パソコンばかりやって仕事をしない」と言う。
・おじさんにとって「パソコンが出来ること=仕事が出来ないこと」のようである。

・そして多くの企業では経営者もまた、その「彼ら」の一人である。
・社内システムやネットワークが動くのは「当たり前」であって、それが止まれば「システム担当の責任」である。
・つまりシステム担当者にはマイナス点がつくことはあっても、プラス点は原則としてつかないのである。

・結局、社内SEは何をよりどころにすればいいのか。「自負心」と「上司の評価」、この二つではなかろうかと思う。
・そして後者は前者に影響を与える。どちらかがあればいいのではなく、両方とも無ければ、つらい所である。

・こう考えると、社内SEが不機嫌になったり無愛想になったりする、なんてのは必然中の必然だろうと思うのであった。

・しかし、社内SEがすべての仕事を嫌うわけではない。「前向きな仕事」は楽しい。クリエイティブな仕事は楽しい。
・しかし、そんな仕事はめったにない。そこにも大きな障害があるのだ…

(続くかも知れない)

2006年09月08日

安易な謝罪は保身に過ぎない。

 「荒らし」への対応として、謝罪する必要のないことまで謝罪するのは、これは「御都合主義の最悪な対応」である。
 そんな物は保身でしかない。謝罪することで、あなたのブログの炎上は収まるかも知れない。しかし奴らは増長するだけだ。あなたの謝罪は、奴らの「達成感」になる。
 それは、奴らが「次のブログを荒らすため」の活力になる。

 「ブログ炎上への最良の対処法は謝罪である」なんていうのは、アホの考えた戯言に過ぎない。

参考:「ブログ荒らし」の行動パターン

 一応TBしとこ。

乙武洋匡公式サイト: 深くお詫びします

 なんか追い打ちをかけるようで気の毒だけど。たしかにあの記事への「補足」は必要だったろうし、大人な対応としての「謝罪」は選択肢の一つだと思う。でもやはりブロガーとして、上記のようなことは認識して欲しかった。
 しかし、この謝罪記事にまで中傷コメントを書いている連中っていうのは何なんだろう。なんでこうも醜く生きてゆけるのだろうか。

父はルーター、母はハブ。

 両親のことを少し考えていて。
 僕は母親の倫理観というか、思考の根本に猜疑心を抱いているのだけれど、それは必然的なことであって、別にどうということではない。
 母親というのは、あるいは専業主婦とは「自分の家さえ良ければよい」と考える物なのだ。それは、別に責められるべき物ではない。
 父はルータ、母はハブ。そのような物だと思う。僕は子供の頃、プライベートネットワークにいたわけだけれど、独立して外の世界とつながった。そういう中で、母親の論理と、外の世界の論理に大きな隔たりを感じた、そういう事なのではないかと思う。
 一般的なジェンダー論みたいに語る気はないけれど、僕の家とは、そういう物だったのだろうと思うし、それを否定する気は毛頭無いのだった。

2006年08月31日

業の深い人生

洸陽
 歩いていて、遠目にこの看板を目にした。
 一瞬「浣腸」に見えた。
 なんか最近、こういう尋常じゃない見間違いとかするようになってきた。

2006年08月24日

I11さんの亀田思考

荒らしの観察というより自分で炎上させてその燃え具合を観察する放火魔と言うべき。24日に「自分の影響力の無さに落胆した」と書いているあたり注目を集めた奴が勝ち的な亀田思考の持ち主のようである。
 相も変わらずI11さんは良い感じの「カチンと来るコメント」を書いてくれるなあ。これに反応したら思う壺だよなあ、とか思いつつも、あまりに良い感じの挑発プレイ。「どっちが亀田思考やねん!その言葉そのまま返すわ!」というツッコミと共に反応してしまう。
 放火魔というのは言い得て妙だなあ。たしかに、僕は自分の家が燃えてしまったら、消す事よりも観察を考えてしまうかも知れない。そっちの方が「得難い経験」だと思いがちな自分がいる。

2006年08月17日

しおらしい男

fk_2000 めずらしくしおらしい
 余計なお世話だ(笑)というか、僕は意外と腰低いですよ、そう見えないだけで。
 実生活でも「偉そう」だとか「慇懃無礼」とかよく言われますけど、基本的にそんな高飛車ではない(と思っているのは自分だけ、という話もあるが)

2006年08月12日

映画「ラフ」に競泳水着フェチが望む事

映画『ラフ』Trailer−特報・予告編−
 この予告編を見る限りではひどい「ごまかし映画」っぽく見えるなあ。
 私がこの映画を見るとすれば、その目的は「長澤まさみの競泳水着」しか無いわけです。映画としての面白さなんて1ミリも期待してないし。
 でも、この映像を見る限りでは、長澤まさみの水着シーンはバストショットのみ、あとは吹き替えという感じですね。というかさあ、この漫画読んだ事ないけど、水泳の映画なんだよね。だったら普通に水着になれる女優を使えよ、と思う。井上晴美とか(いつの話だ)
 さらに、どうもアリーナがスポンサーになってるらしいのだけど、アリーナだったらnuxの競泳水着をメインで使ってくださいよ、と思う。まあアリーナといえば競泳水着フェチの間では伝説になっているX-FLATという素材の水着があるんだけど、これは現行品ではないから仕方ないとして、もっと競泳水着の質感にこだわって欲しいと。
 なんか本当に映画の内容と関係ない話になるけど、でも実際、見に行く男の相当数は「長澤まさみの水着目当て」だと思うぞ。

2006年08月02日

NHK趣味悠々「ブログに挑戦してみよう!」最終夜

 NHK趣味悠々「ブログに挑戦してみよう!」を飛び飛びに見ていて、さほどトンデモでもなく、普通に初心者向けに良いんじゃないですか?と思っていたわけですが。
 最終夜で波乱。
 何が腹立つって、今までろくに仕事してなかった小林綾子が、なんだか最終夜だけ妙に張り切ってしゃしゃり出て来たこと。今まで数回みたのと全然雰囲気が違う、なんだあの必死さは。
 というわけで終始イライラしながら見ていたんだけど、まあ、それはいいや。

 中高年向けのブログ入門、ということで仕方ないのかも知れないけど、最終的にブログを「ボケ防止ツール」みたいな所に落ち着けてしまったのは、ちょっとなんかひどいなあ、と思いました。「ブログを始めてから、いつもの道で色々な発見をするようになりました!」的なのって、まあそうなのかもしれないけど、なんかうんざりする。
 妻が料理を作り、夫がそれを写真にとってブログにアップするという老夫婦が紹介されていて、結局老後の夫婦生活の一助に、みたいな感じだなあ、という。多くの人にとってブログってそういう、飽くまでも個人にとどまった物なんだろうなあ、という。
 つまり、広い場でのコミュニケーションとしてのブログとか、そういうのが隠れていた。

 まあ、でも中高年向け番組だからなあ。こんなものかなあ。

2006年07月31日

ネタはある、しかし

 ネタはある、しかし書きたい事がないんだ。

 思っている事はあって、なんとなく形にも出来るけど、でも「書きたい」という欲求がない。めんどくさい。

・ネタがあって書きたくて、でも時間がない人
・書きたくて時間もあって、でもネタがない人
・全部ない人

 いろんな人がいるんだろうけど、僕には今、書きたい事がない。

 ちなみにネタはこことかにあります。例えば飲みに行って「この事についてどう思う?」って訊かれたらここぞとばかりにしゃべるんだろうけど、うーん、どうも書く意欲が湧かない。言いたい事はあるけど、文字にする気が起こらない。

便利グッズ

スーツの上着をスマートに持ち歩く
 これのどこがどう「スマート」なんだろうか?
 まず冒頭に出てくる「製品パッケージ」に驚く。なんだこれは。80年代の漫画に出てくるパンク好きの若者でもこんな趣味悪くないだろ。
 最後に載っている、スーツを持ったサラリーマンと、電車に誇らしげにかかっている背広の写真。
 これを「貧乏くさい」と言わずして何が貧乏くさいのか。
 そして販売元の社名が「美産研究所」、もう冗談だとしか思えない。
 こんな物を「これは便利!」なんつって使うような人間にはなりたくないし、もちろんそんな人間とは友達になりたくないです。貧乏くささが伝染しそうだから。

 まあこれは最もひどい例だと思いますが、「便利グッズ」というのは往々にして貧乏くさい。
・モップ付きスリッパ
・携帯電話をハンズフリーで使うヘッドセット
・「テレビを見ながら運動できる」と宣伝される多くの健康器具
・くるくる巻いて収納できるまな板
・くるくる回る座椅子
・靴箱に二倍の靴が収納できる「靴用ハンガー」
・正座しても足がしびれない「正座用の椅子」
・自転車に傘を取り付ける金具(雨の日でも両手で運転できる)
・乾電池で光る仏壇用線香
 あー、貧乏くさいなあ。

2006年07月27日

音をたてる人

 例えば新幹線に乗っている。

ズルズルぺったんズルズルぺったん
ドガ!
ガターン!
カチャカチャ、ガチャーン!
シャカシャカ、シャカシャカ
ぷしゅー
ずるずるずる
プハー!

 座席まで歩いてきて、座り、リクライニングを思いっきり倒し、テーブルを出し、ビールを取り出し、開け、すする。
 このように、何をするにも大きな音をたてる人がいて、醜いというか、みっともないなあ、と思うのでした。

2006年07月18日

馬鹿のための文章術

1.「常識」禁止。
 馬鹿が常識だと思ってる事は、世間では非常識ですので、馬鹿が「こんな事は常識です」と言っても世間様には通用しません。
 そしてまた「それは常識とは言えないですよ」と指摘された時に開き直るのも馬鹿ならでは。
 それもそのはずで、多少なりとも他人の意見に耳を傾けていれば、馬鹿にはなるまいと思うのです。自己批判と反省のない生活の結果、馬鹿ができあがるわけですので、馬鹿はいつまでも馬鹿のままです。

2.嘲笑禁止。
 馬鹿はとかく他人様の事を下に見て嘲笑したがります。馬鹿にしてみれば勝利宣言のつもりなのでしょうが、端から見ると、何を嘲笑しているのか分からず、馬鹿馬鹿しいものです。そればかりでなく、論旨が見えにくくなります。馬鹿の書いた論旨の見えない文章なんて、誰も読みません。
 また「どうでもいいんですけどね」なら話が終わるのに「どうでもいいんですね(苦笑)」では話が終わりません。このように、馬鹿だから論争に勝てるはずもないのに喧嘩を売るのは馬鹿の悪い癖です。

3.「(笑)」禁止。
 上記同様、馬鹿が「面白い」と思う事は世間から見ると全く面白くないわけですし、また、無駄に(笑)が連なっていると何が言いたいのか分からなくなります。馬鹿はこのような記号に頼ることなく、馬鹿らしく地道に文章を書くべきでしょう。

 話がかみ合っていないな、と思ったら「常識」と「笑」を外して、嘲笑(イヤミ)を廃して文章を書けば良いんじゃないか、という話。

2006年07月13日

フラッシュ=無断ダウンロード禁止というナンセンス。

 僕がFLASHムービーに対して抱くイメージ。「無断でダウンロードされたくないから、mpgやmovじゃなくてフラッシュ」
 企業ホームページでは往々にして、そういう使われかたされてるような。性格の悪いホームページ担当者が考えそうなことだ。「コマーシャルの紹介ページを設置したいけど、勝手にダウンロードはさせたくない!」実にケツの穴の小さい考えでして、そんなものいくらでもダウンロードさせればよろしい。
 持っていかれたからといって、どんな不都合があるというのだろうか?別段不都合もないし減りもしない物をダウンロードさせないというのは、これすなわちシブチンというものであります。
 そんなわけで、僕はFLASHムービーにはあまり良いイメージを持っていない。

 でも「フラッシュムービーはダウンロードできない」というのは間違っていて、というか、間違いというよりもナンセンスなのでした。
 正しくは「フラッシュムービーはユーザーが知らないうちにTemporary Internet Filesにダウンロードされてしまう」であるわけです。
 考えてみれば滑稽なことだと思いました。

MMK(モテてモテて困っちゃう)

 ここ数日、斉藤春美という女の子から執拗に「会ってください」という内容のメールが送られてきます。色男はつらいのう。
 斉藤春美っていうのは、こんな子
 ほんと、スパム業者だけが死ぬ中性子爆弾とか発明されない物だろうか。

2006年07月04日

ほしのあき最後の輝きとなるか?

ほしのあきのCM動画が見られます。

 最近、やる気のないグラビアばかり展開しているほしのあき。以前警告した通り、このままでは表舞台から消えるのは時間の問題でしょう。悲しいことですが、最近の仕事ぶりを見ているとそう思えてきます。
 昨日古い雑誌を読んでいたら昔の「星野亜希」時代の記事が見つかりました。車のCMとか出てなかったか?あの当時の色気のない感じも相当可愛くて良かった。

・参考:ほしのあき入門レビュー

2006年07月03日

ブルマ雑感

:: Order Compo VOLLEYBALL ::
 (パンツのデザイン開始画面はここ)

 オリジナルデザインのブルマが1着から作れる、こんなページがあるのを知って。これってブルママニアにはたまらないんでしょうね。
 しかし、近年ブルマ物のエロ本とかAVをあまり見なくなったな、と気付く。なんでブルマがフェチの対象になるのかというと、それが幼少時に初めて見る「男女の差の象徴」だからなのだと思うんだけど、つまり、幼少時にブルマを見なければ、長じてそこに性的魅力を見いだすこともないわけだ。当たり前ですが。
 ブルマが学校から消えつつある、ということが話題になったのは90年代前半だと思うけれど、10年、15年経つうちにもうほとんど無くなったのだろうと思う。そして多分、今の20歳前後の人にはブルマフェチなんてほとんどいないんじゃないかとも。
 フェチというのも社会によって、時代によって変わってゆく物だと思いました。

2006年06月22日

画期的な水着のオーダーメイドシステム

 最近発見して衝撃だったのがこのページ。
arena CUSTOM ORDER 【水着のカスタムオーダー】
 既存の水着のデザインを選んで、自分で配色が選べる、というシステムです。
 と、言ってしまえば簡単なわけですが、競泳水着フェチの僕から言わせればこれは相当画期的でして、今まではこういうのって「チームウェア」という扱いで、10着とかまとまった数からしか扱ってなかったんですね。
 それが1着から出来る、というのは今までの常識から外れている。しかも、値段は既存の水着とほとんど変わらない。数百円の違い。
 これはねえ、すごいことですよ。って言ってもほとんどの人には興味ないんだろうけど。
 ただ、このサービス、絶対に軌道に乗らないと僕は思ってます。競泳水着のニーズ自体が他のスポーツウェアに比べて少ないだろうし、プールなんかに行っても来てる人のほとんどが高齢者。50代以上の人ばかりで、水着のデザインを気にしているような人はほとんどいません。
 そんなわけで、このサービスは早期に終了するだろうと思ってます。発注するなら、この夏がねらい目だろうと。
 なので興味がある人は早めに試した方が良いと思いますよ。

2006年06月20日

HIDライトを薦めるアホディーラーをどうにかしろ

 ここ数年、やけにまぶしいライトを点けた車が走っているわけです。
 雨の日なんか特にまぶしい。
 むかし、知人が車を買いに行った時、そこのディーラーが言ったわけですよ。

「オプションで、HIDライトがありますけど、付けませんか?よく、対向車のライトがまぶしいと思うことがあるでしょう、あれですよ。明るいですよ。」

 アホか。
 「まぶしい」ことが分かってるなら薦めるな、馬鹿。

「でも」とはなんだ!

 最近少し増えているスパムメールの手口。
 送付先のアカウント名を、タイトルに挿入して送ってくるタイプ。

 「lstyさまにご紹介します」

 とかいうタイトルのスパムメール。少し考えられているけれど、慣れればクリックしないですね。で、ここ2〜3日に来ているのがこんなタイトル。

 「lsty様でも簡単なんです。」

 それは微妙に失礼だろう。

2006年06月08日

死にたい人は救いなんか求めていない

 まあまあ、リスカの前にうまい棒でも食べて。

 と、冗談はそのくらいにして。

はてなブックマーク - livedoor ニュース - 死にたいと思ったあなたへ、自殺3万人の時代に告ぐ
 すごい不評でありまして、あたりまえです。それはこの人が「私は宗教に救われました!死にたいと思ってる人は僕の宗教においでよ、なんとかしてあげるぜ!」という立ち位置にいるからなんじゃないかな、と。
 死にたいと思ってる人は、なんとかして欲しいとか、救って欲しいとか、そんなことを思っていないでしょう。そんなことも思えないほどになってしまったから、だから「死にたい」のだと思う。

 死にたいという気持ちは飽くまでも個人的な物で、誰にでもこれが効きますよ!なんて特効薬はないし。
 じゃあどうすればいいか。

 まずね、本屋かコンビニで「ザ・テレビジョン」を買ってきなさい。で、一週間の番組表を見てね、何か見たい番組があったらOKです。そこに赤丸を付けてですね、その番組を見る。
 それが今日の夜の番組なら、今日の夜までは生きておく。明日の番組なら、明日まで生きておく。テレビじゃなくても良いんです、例えばAmazonで商品を注文して、それが届くまで生きておく、一週間後に友達と会う約束をしてレストランを予約しておく、週末にザリガニを捕りに行く。なんでもいいから何日かあとに、ちょっと楽しみな予定を入れておく。すごく楽しみじゃなくて良いんです。ちょっと楽しいこと。
 そういうことを積み重ねてゆくしかないのではないかと僕は思う。少なくとも僕は、そういうことを繰り返すうちになんとなく生きてきたクチだ。

 僕が今生きているのは多分、死にたいと思っていた時に嫁が送ってくれたメールのお蔭だ。そのメールには「今日のドリフ、録画しておいたよ」という物だった。

2006年06月07日

正しい事というのは往々にしてイヤミだと思う。

 誰に押しつけたわけでもない「referer」の読み方は「リファーラー」がより正しいんじゃないの?っていう記事に対して色々反応があるんだけど、そん中であまりに馬鹿馬鹿しいと思った一言。
こうやって「正しさ」をふりかざしてるのきらい。
 僕は誰にも「だからリファラなんて読むな!」なんて言ってない、「リファーラーの方が本来の発音に近いんじゃないの?」と書いただけなのに、それが正しさを「振りかざす」って事になるのかね。
 ではこの後のSatoshi Tanabeさんの「じゃあまず 'referrer' と正しいつづりで書こうね。」という一言だって「正しさを振りかざしてる」って事じゃないのかね。で、まあこの記事に対する正直な感想はこれだ。
(※rが重なるよ、という指摘についてはfinalventさんからも頂き、参考になりました。ありがとうございます)

 山口瞳が著書の中で「正しいことを知るというのと、正しいことを常に実行するというのは違う。正しいことを常に実行するのはむしろイヤミである」という趣旨の文章を書いていたと思う。
 それは全くその通りで、間違ったことをしている人に対して「こっちの方が正しいんだよ」と言うなんていうのは、実はかなり嫌味な行為だと思う。
 常に正しくあれ、とは僕は思わない。しかし、「こっちの方が正しいんだよ」と言われた時に開き直るような惨めな人間にはなりたくない。

 で、ついでなので僕が「イヤミだなあ」と思いながらも「なるほどなあ」と思いつつ読み、そして実際に勉強になった本を三冊挙げておきます。

礼儀作法入門
礼儀作法入門
   
ヨーロッパ退屈日記
ヨーロッパ退屈日記
   
魯山人味道
魯山人味道
   

2006年05月30日

レッテル貼りによって自分を型にはめるな

 先日、レッテル貼りについて書いたのだけれど。で、人にレッテル貼るのは好きだけど、自分に貼られるのはいやだよね、という話でした。自分勝手だよね、という。
 でも、自分勝手だろうが自分へのレッテル貼りは拒むべきだろうと思う。結果的に貼られることはある。でも、拒否するべきだと思う。他人にはレッテルを貼っても、自分へのレッテル貼りは拒否する、矛盾していようが、それを貫くべきだと感じたのです。

 なんでかというとですね「ネタ」とか「釣り」とか「プロレス」とかね、ああいう、自分が今やってる行為に対してレッテルを貼りたがる人がいる。あれが腹立たしいのです。自分の行為にレッテルを貼ることで、その着地点をなんとなく決め、適当な落としどころに落とそうとする感覚、自分の言動を規定してしまうような行為、ああいうものが腹立たしい。「いやー、これはネタですから」、「釣りですよー、エヘヘ」
 なんだよそれ。
 「自己を客観視」するこざかしさ。それによって予測される未来を作ってしまうつまらなさ。自分の行動、言葉の先には無限の可能性があるのだという、その未来を侮辱するような。

 自分は複雑な人間だ、というのは傲慢です。しかし、自己を卑下して、自分を「自分のキャラ」に押し込めてしまうよりは良い。

2006年05月26日

ululunに言われて気付く

ululunに 言われて気付く レッテルは
貼りたくはあり 貼られたくなし
チタン楼古木
 以前から何度か、ululunさんに「LSTYはツンデレ」と言われていて、これが最初だと思うんだけど、その後も言われた覚えがある。
 で、僕はそれを読んで「うるせー」と思ってたんですよ、勝手に決めるなよ、と。
 でも、考えてみると、僕自身は人にレッテル貼るの好きなんだよな。公言することはほとんど無いけど、特にweb上ではなんらかの決めつけをしてからコミュニケーションした方が楽だし。
 レッテルは、貼るの好きだけど貼られるのはいやなもんなんだな、と再確認。誰だって、自分だけは複雑な存在なんだと思い込みたがる物なのです。反対に、他人のことは「単純で決めつけ可能な存在」だと思う傲慢。

2006年05月23日

塩素あれこれ

 いいねえ「あれこれ」って、昭和のゆるい随筆臭が漂ってて。
 で、なんで塩素なのかというと、僕は競泳水着フェチなんだけど、単に布がどうこうという以上にですね、あのプールの匂いが好きなんだよなあ、と感じていたのです、最近。
 言っておきますけど、最近プールにはよく行きますけどね、別にそこで興奮したり、女の子をじろじろ見たりね、そういうことはしないんですよ。泳ぎに行ってるわけですから、その時はあまり気にならない。でもたまに、思うのです「あの匂いは官能的だなあ」と。
 調べてみると、プールの塩素濃度の基準値は水道のそれの4倍なんですね。水道が0.1ppm「以下」で、プールが0.4ppm「以上」なので、実際はもっと差があるんでしょうね。ppmって言ったってピーター・ポール&マリーじゃないよ。
 だから何だって、別になんでもないんだけど、豆知識でした。

参考
プールの塩素消毒方法
水道法施行規則(第17条3に塩素濃度に関する記述あり)

※1ppm=1/1,000,000=0.0001%

追記
 ハイターの塩素濃度は5%のようです。50,000ppmですね。
 ということは、これで0.4ppmの塩素水溶液を作るとなると、125,000倍に薄めればOK。
 1,250リットルの水に対して10mlのハイター、一般的な浴槽の容積は200リットルらしいので、風呂に1.6mlのハイターを入れれば、プール気分が味わえますよ。
 いや、僕はやらないよ。

給湯室より

 すごくくだらないことなんですが、職場でコーヒーを飲もうと思ってですね、給湯室に行くとコーヒーメーカーが空なんですよ。たいてい、僕が行くといつも空。あるいは、うっすらと残ってる。1杯分もないくらい。普通ね、普通ですよ、自分が最後の1杯飲んだら、次の人のためにコーヒー入れませんか?仕方ないので僕がコーヒー入れるわけです。
 で、自分専用のマグカップをコーヒーメーカーのとこに置いておいて、とりあえず机に戻る。で、コーヒー入れた事なんて忘れるんです、すぐに。しばらくして「あ、そうそう、そういえば」と思って給湯室に行く。そうするとですね、まあコーヒー、半分はなくなってるね。人の多い職場だから。下手すると、また空っぽになってるわけですよ。
 これ、どういうことなんだよ!あのねえ、僕はマグカップ置いてるわけですよ、これが僕のカップだって事はみんな知ってるわけです。で、見れば分かるでしょう、「あ、こいつコーヒー出来るの待ってるな」と。それだったらさあ、僕ならですよ、その人に声かけますよ「コーヒー出来ましたよ」って。それをしないのね。ほんと、たまーに声をかけてくれる人がいますけどね、まあ、まずない、そんなことは。
 で、飲んだら飲みっぱなしだしさ。こういう時に僕は「あぁ、人間ってのは所詮、自分さえ良ければいいと思う生き物なんだなあ」と痛感するのね。細かいと言えば非常に細かい話なんですけどね。同じ職場にいる人にすらサービス精神を発揮できないんだからね、まあ、他人への配慮の無さなんて推して知るべしってやつです。
 そんなことを思いながらしかし、自戒の念が少しはあります。少しですけど。
過去ログ