2007年12月27日

どっちだったか

「督促」は「とくそく」か「そくとく」か?
「あいさつ」は「挨拶」か「拶挨」か?
「一朝一夕」は「いっちょういっせき」か「いっせきいちゆう」か?

 たまに、急に分からなくなることがある。

2007年11月28日

寡聞にして知らない

 最近いいなあ、と思うのが「私は寡聞にして知らなかったのですが」というフレーズ。
 私は無知ですので知りません、という謙遜を、わざわざ難しい言い回しで表現するイヤミさ加減が非常に良い。
 一度使ってみたいけれど、僕はそこまで堂々とイヤミが出来ない。要は気が小さいのです。

2007年08月03日

外国語の日本語表記ふたたび

旧・他人の不幸は蜜の味:マッダナルに行こうよ(外国語の日本語表記)
 三年前に書いた記事。
basketball:ベアスキッボー
 冗談のように見えるかも知れないけれど、当人は比較的真面目です。完全に片仮名音のみで話した場合、こちらの方が通じるのではないかと。
 他に思いついた物。

personal computer:プアスナ・カンピュテ
infomation:インフメイシン
eagle:イーゴ
alternate:オータネ
without:ウィダウ
number:ナンブー

CNN:スィーエネン

United Kingdom:ユナイテッキンドン
Ireland:アイアラン

first of all:フルストボー(TABASCOのコピー)
all over the world:オーロバダワー
at the moment:アッダモメン

 でもダメかなあ、通じないかな。

2007年07月27日

住む世界によって言葉が変わる。

 学生の時、たしか近世文学の授業で「大門通り(おおもんどおり)」を「だいもんどおり」と読んだ人がいた。
 教授が

「この通りは、文字通り『大門』という門につながる道ですが、この大門というのはなんの門だか分かりますか」

 と訊いた。大門を「だいもん」と読むような学生に分かるはずもない酷な質問だが、その学生はしばらく考えて答えた。

「皇居。」

 世が世なら不敬罪でお縄である。
 大門というのが吉原の入口だったというのは、多少なりとも近世文化を知る人間にとって常識だけれど、しかし学校で教えてくれるような話ではなかろう。
 考えてみれば僕は落語好きだったせいで近世文学の授業ではずいぶん得をした。趣味や家庭環境、いわば「住む世界」によって、知っている言葉は変わるし、使う言葉も変わる。
 書く文章も変わるだろうと思う。書いた文章が誰に影響されているのか、というのは割りと自分でも分析できるけれど、話し言葉がいったい誰の影響を受けているのか、どんなバックボーンを持っているのか、というのは分かりにくい。
 僕の場合、言葉の選び方は伊丹十三に影響されていそうだ。語り口は江戸落語と上方落語の折衷だろうか。「水曜どうでしょう」の影響もそれなりにあるだろう。
 自分が使う言葉から、自分の背景に何があるのかを探索してみるのも楽しい。

2007年07月25日

早口言葉か

第138条 何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。
 得しめない目的を持って訪問できないのであれば、誰の家にも行けないじゃないか!と一瞬思った。

2006年10月03日

記事の鮮度について(未検証)

 web上の話題って2日で古くなるよねえ、というような鮮度ではなく。
 ブロガーの「頭の中鮮度」の話。
 今、僕の中では書きたいブログ論が二つあって、特にそのうち一つについてはかなり書きたいテーマなのです。で、これ書きたいと思ったのが9月28日、5日前ですね。でも書く暇と気力が無くて、いまだに一文字も書いてないんですが、でも書きたいとは思ってるのです。
 で、あー、書きたいなーと思いながらふと思ったのが、全く根拠はないけど実感としてあること。

 つまり、「あっためたネタほど、あんまり注目されずに終わる」ということ。今までの僕の感覚で、思いつきでババッと書いた記事の方が注目され、好評だと思う。何日かに渡って考えたり書きためた物というのはスルーされる可能性が高い。これは何なんだろうか?

 考えられるのは、「テーマに対する思い」が、思いつきで書いた時の方が強い、というのはあるかも知れない。その時の思いがストレートに出るとか。じっくり考えて書く物は理性的になってしまって、「記事が走る」感じがしない。逃げ道なんかも用意しちゃって。そういうのよりも、多少矛盾があっても走る感じの方が、心地よいのかも知れない。
 あるいは「文体が荒い」というのもあるかも知れない。時間をかけて書いた物よりも、適当に書いたものの方が口語に近くて読みやすい、というような。

 あと、大事なことがあった。僕のブログ記事の95%以上は「一時間以内で書いた物」です。ほとんどは30分以内。じっくり考えた書いた記事ってほんの少ししかない。「考えずに書いてる記事が絶対的に多い」ということ。これが最も大きな要素か。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、ということですね。

 なんとなく、そんなことを思いました。

2006年09月21日

ウは宇宙船のウ

 今、会社の人が「イジュウインってどんな字?」という質問にこう答えた。

「伊太利亜の伊に、集まるに、湯布院の院」

 うわ!すごい。余計わかりにくくなってるじゃないか(笑)
 映画「まあだだよ」で、生徒が先生に「摩阿陀会」の感じを説明するシーン。

「摩は摩利支天の摩、阿は阿弥陀様の阿、陀も阿弥陀様の陀」

 あのシーンを思い出した。

まあだだよ - 黒澤明
まあだだよ デラックス版

2006年09月15日

最近一番好きなブログ

アラこれは便利だ!
 知ってる人も多いかも知れないけど、今はてなでちょう人気の日記ダ!
 はてなのidはコリ(id:KotoriKoTorikoの蔑称)だけれど、ローマ字にするとこじゃれていると思うのは大間違いで、佐々木一朗太とかいうのが名前の人だ。
 インターネットにいる庶民どもはコピペ改変とか記念パピコだとか、お味噌のいらないことばかりやっているけれど、ドンガメなので仕方がない。
 佐々木一朗太は講談とかも書ける素養のある一朗太です。
 聞けドンガメどもー
 マックも使っているので、収入さえあればモテモテだ。
 そんな、いつもにっこりはてな石なブロガーが佐々木一朗太です。


 と、少し文体を真似てみたのだけれど、この人の文章を読んでいるといつも「ちょっとかなわないぜ」と思います。ちなみに「ちょっとかなわないぜ」は吉本隆明の真似です。
 ブロガーというのは、基本的に「その場でちょっと気の利いたことが言えればそれで良い存在」であって、それだけで結構読んでもらえるものです。だから自己鍛錬とか全然しない。本も読まないし勉強もしない。本を読むこともあるけど、それは自己正当化のためだったりする場合が多くて、本当の勉強になってない場合が多い。
 そういうブロガーが多い中で、佐々木一朗太さんのような素養のあるというか、蓄積のあるというか、才能のあるというか、そういう人はとても貴重だし僕は好きです。

2006年09月14日

ボインのない世界

 昔のヘブライ語には母音の表記がないから「YHW」は「ヤハウェー」だったり「エホバ」だったりすると聞いたような気がする。
 しかしそれだと「FCTN」だって「フィクション」なのか「ふくちゃん」なのかわからないので、それは不便な物だと思うのでした。

2006年09月09日

苦笑される毒舌ブログ

 これは「自称毒舌」ブログに多いような気がするんだけど。
 まあなんかの悪口なんだろうな、というのは分かるんですよ。ブログであったり、人の悪口。それは、なんとなく雰囲気で分かる。
 最後に「まあ、〜なんですけどね(苦笑)」なんて書いてある。
 なんか、とりあえず対象を馬鹿にしたいんだろうな、という意志は感じるんだけど。
 でも、本文を読んでも、何を言ってるのかさっぱり分からないのですよ。対象を支持してるのか批判してるのか、それさえ分からない。「批判したい」という気持ちは分かるんだけど、それが文章として成り立っていない。
 あれは、なんだろうか?「中立的な立場から、客観的な批判をしたい」という志に、思考力や文章力がついていかない、というような状態なんだろうか。
 (苦笑)じゃねーよ、と。人に(苦笑)してる場合じゃないだろ、と思うのだった。

2006年08月12日

動植物名のカタカナ表記とか

2006/8/10|readymade by いとうせいこう
 「ゴマダラカミキリ」という言葉が出てきて、そう言えば「オオゴマダラ」という蝶もいるけど「ゴマダラ」って何なんだろうと思った。

 動植物名を表記する時にカタカナを使いましょう、というルールは「名前の意味」の理解を妨げている。僕の持論としてはひらがなではなくてカタカナで表記するというのが特に良くない。カタカナにする事で「日本語ではない=日本語としての意味がない」言葉のように見えてしまうから。だから僕は多くの場合、漢字表記かひらがな表記を使う。
 ただ困ったのは「タロイモ」で「たろ芋」で良いのかなあ、と少し迷った。調べたら「タロ」は外国の言葉なので「タロ芋」なのだった。
 そんな事を思っているのは少数派なのだろうか。

 さて、広辞苑で調べてみると「ごまだら」の漢字表記は「胡麻斑」でした。では「だら・たら」だけで「まだら」の意味を持つのかと言えばそうでもないようですので、おそらくは「ごままだら」がつづまって「ごまだら」になったということでしょう。

2006年07月26日

絵に描いたような「食傷気味」

加えて制作に携わるのは天才クリエイター集団マッドハウス。このニュースは瞬く間に全世界をかけめぐり、各国の映画人、アニメ関係者たちの期待と話題を独占!世界各地で開催される映画祭からは早くも出品依頼が殺到し、ブログやネットでも、映画の内容をめぐる情報争奪戦が繰り広げられたようだ。これほどまでに待ち望まれた映画が、遂に[2007年 お正月第1弾]に日本公開される事が決定!
パプリカについて 太字引用者。その他、カッコの形状を変更。
 この文章を読むと、逆に見に行く気が失せると思うんだけど、どうだろうか。なんというか「必死すぎる」感じ。
 でも今敏という人には興味あるな。見た事ないけど評判は良いね。それだけに、もっと普通の紹介文を書けばいいのに、と思う。

2006年06月26日

チリンメロン

 会社の冷蔵庫にキリンレモンが入っていた。なんとなく「ちりん、めろん、ちりん、めろん、ちりんめろん、ちりんめろん、ちりん、めろん。」と歌ってみた。これは幼児語のようで可愛い響きだ。

2006年06月14日

「つづめる」

 いとうせいこうが、みうらじゅんに突っ込む時によく使う言葉に「つづめる」がある。
 「北京原人 フー・アー・ユー?」を「ペキフー」とか、「シベリア超特急」を「シベチョー」とか、なんでも略して言いたがるMJに対して、いとうせいこうが突っ込む時。

「つづめてるだけじゃない!」
「なんでそうやって、なんでもつづめようとするの?」
「つづまっちゃってんじゃない!」

 僕はこの「つづめる」という言葉、「ちぢめる」のなまりだと思っていたのです。でも違うんですね。そういう言葉があるんだ、初めて知った。森鴎外や泉鏡花も使っている、れっきとした正しい日本語なんですね。字は「縮める」ではなくて「約める」。
 世の中には知らないことがまだまだある。いやになるくらいに。

・参考:つづ・める 0 3 【▽約める】 - goo 辞書

2006年06月01日

越えられない壁と埋められない溝

 さっき思い出したんだけど、随分前、あるブログのコメントで「独善的」という言葉を使ったら、「そのような2ちゃんねる用語を使わないでください」と言われたことがあった。
 あの時は驚いたなあ。

2006年05月31日

修辞としての「間違った日本語」

 例えば敬体と常体の混合、重複表現、同一物を指す複数の表記、こんなことが僕のブログではしょっちゅう起こるのですが、それは推敲していないことに加え、それがブログだと思っているからです。こう言うとおこがましいような気もしますが、間違った日本語を修辞として使っているわけです。
 他の人もそうだとすれば、ブログから、その人が日本語のルールを知っているか否かを判断することはできない。
 でも、ビジネス文書を読むと分かりますね、その人が最低限の日本語を使えるかどうか。で、十中八九、出来てないね。あと契約書ね、契約書を書かせると、その人の能力って大体わかりますよ。まあ、これについては全く書けないですよ、大方の人は。
 最近、ブログで乱れた日本語ばかり使っているので、自分の日本語能力が低下してるような気がする。要注意。

2006年05月30日

ATOKへの不満

 何か使い込むほどに微妙なアホさを露呈すること、Wordとの相性が悪いこと、これも不満。でも、もっと強く思うのが

・形式動詞を区別して欲しい

 例えば「そうしてゆきます」という場合、僕は「行きます」と漢字にはせず、ひらがなで書きます。しかし「ビッグボックスに行きます」の場合は漢字。そういう使い分けをしたいのですが、ATOK君はその区別をしてくれない。「そういう事」の「いう」も同様。ここらへん区別してくれないのが、ちょっと頂けないなあ、と。

 もちろんIMEだってするわけないのですが、IMEには何も期待していないので何も言わない。

2006年05月23日

メモ:Sさんの文章

 ふと気付いたんだけど、Sさんって体言止めが多いね。
 で、これはなんとなくのイメージなんですが5月の連休明けからすこし文体が変わったような印象。Sさん独特の文体がちょっと薄まった感じ。

2006年04月20日

ひらがなだけでは「子供の日記」にならない。

おねえさんにかみをあらってもらったら きもちよかったので おとをおおきくしたら オムレツをたべた。オムレツにはひきにくとおいもをいれました。たまねぎもいれた。
 これはKenさんの「パンク・オムレツ」という日記を加工したものです。Kenさんの日記を読んだ時、なんとなく「子供の日記っぽいなあ」と思ったのですが、しかし大きく違う所があった。それは、派手な格好の女の子→ワイルド→パンクという、この因果関係ですね。「子供の日記」の最大の特徴は、因果関係のめちゃくちゃさにあるのではないかと思ったのです。
 それで、そこをいじって、本格的に「子供が書いた変な文章」に書き直してみたのが、上の文章です。
 つまり「〜したら」という言葉の使い方がおかしい。
 しかし大人は「〜したら」の中で起こっている事を色々想像する。で、なんか面白いなあ、と思う。

 もう一つ例を挙げると
視基AB - 青木さやかさんの日記について
 最後の日記の構造を維持しながら中身を変えるとこうです。
きょう おにいちゃんとすもうをとった。ぼくは まけたので つまらなかった。おにいちゃんは かちました。
 こっちは逆に、「僕が負けたんだから、お兄ちゃんが勝ったのは分かってる」わけです。文章を読めば因果関係から予測の出来る事実を、あえて書く。
 でも大人は、「最後に、お兄ちゃんが勝った事を付け加える事で、負けた悔しさが出ているなあ」と思う。

 先に書いたのを「因果関係の飛躍」だとすれば、後の物は「因果関係の念押し」とでも言いましょうか。本質的には「言葉の誤用」であり「無駄な表現」なのだけど、いわゆる「子供の文章」が高く評価される理由は、こんな所にあるのじゃないかと思ったのです。
 そして。こういう「美しくない日本語が、実はブンガク的になったりもする」という事実は、大人のブロガーにとっても大事な事実だと思いますよ。

 いや、なんだか、こういうひらがなの文章を突然書きたくなっただけなんですが。

2006年03月20日

養老孟司の文章

 「脳の見方」の序文を読んでいて思った。
 養老猛司の文章って、無駄が多くて読みにくくないかい?
 ブログばっかり読んでいて「軽薄短小」に慣れてしまったからだろうか?

 でも、永井荷風先生とかは普通に気持ちよく読めるんだよなあ。

 学者としての能力と、文章書きとしての能力、という物について少し前から考えています。
 その二つは別に両立してなくても良い。でも、その場合、学者としての能力を読める形にする「翻訳者」みたいな人が欲しい。

 「脳の見方」には興味があるので、もう少し読み進めます。

2006年03月16日

それは必然なのだろうけど

「文章の長い人」を取り巻く議論は、「長い文章」によって構成される。
めんどくせえ。
もういいや、どうでも。
僕は僕のやり方で考える。

しかしいつも思う。本当にそれだけの文字数を費やす「必要性」があるのか?ということ。
でもあれなんだよなあ、長い文章を書く人の大多数は多分、「長い文章を書くことこそがステイタスだ」と思っているんだよ。
だから無駄か。

一応断っておくと、僕は「必然性のある長文」、「必然性のある難しい文」は結構好きです。
でも、ブログにはそんな文章、ほとんど無いでしょう。

だったら本を読む。

2006年02月06日

笙野頼子、文体と絵柄

 精神状態は文体に現れる。元気がない人の文章には、元気がない。

 昔、フジテレビの深夜番組で(たしか「文学と言ふこと」という番組)「文体は作品の本質だ」と言っていたけれど、僕はそうは思わない。
 文体は、漫画で言えば「絵柄」だと思う。ある物事を伝えるための手段であって、それは重要ではあるが本質ではない、と思う。
 絵柄が苦手で読めない漫画家というのがいる。でも、読んでみると面白かったりする。僕の場合、萩尾望都とか諸星大二郎とか。

 笙野頼子の「金比羅」を少し読んでみて、どうも読めない。あの文体がとても気に入らないのであった。ちなみに町田町蔵の文体も気に入らない。で、読めない。
 でも、「気にいらねえなあ」と思いながらも、その内容を否定する気にはならない。そういう時は、少し我慢して読まなければいけないと思う。
 そんなわけで、現在中断中。
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