2009年05月10日

爆発噺

 ちまたでは「爆発」をキーワードにして特定の人の文体を真似るのが流行っているようだ。

「爆発音がした」まとめ 上
「爆発音がした」まとめ 下

 個人的には「英語の教科書」が面白かった。

 で、落語家バージョンをちょっと書いてみたよ。

三遊亭円生「えー、まぁこの頃ではよく、爆発なんてぇ事を申スますが、この、爆発というものがまた、けスからんものでございまスて…」

古今亭志ん生「ま、このぉ、爆発ぅ、と、いう、ものはぁ、物騒なもんですな。」

桂枝雀「ご存じの方はご存じでしょうし、ご存じでない方は、ご存じないと思うのですが、爆発、というものがございまして、『ボン』とこう。『うわっバクハツや!』と。ハハハ。」

快楽亭ブラック「『おい、お兄ちゃん、パクハツだ!』『なんだおめえ、朝鮮人か!』」

2009年04月26日

桂千朝と「日本の話芸」

 NHK「日本の話芸」に桂千朝という落語家。
 これがひどい。文珍に匹敵するひどさ。
 米朝の真面目さに、枝雀の「随談風」を加えたという感じの話。
 これがひとっつも面白くない。

 あー「真面目に芸歴うん十年勤め上げれば、とりあえずNHKには出られますよ」という雰囲気。

 刑務所か。

 こんなものを「日本の話芸」なんて紹介されてはかなわん。こんなの録画してる暇あったら、松鶴、円生、志ん生、枝雀を再放送しろ。
 下手な新録より、うまい故人だ。

 つーか、テレビに下手な落語家を出してくれるなよ。若い人がみんな「あー、落語ってつまらないんだなあ」と思うじゃないか。
 しかし、考えてみりゃ今、まともな落語家は少ないのでどうにもならんか。一週おきに小三治・志の輔・小三治・志の輔ってわけには、さすがに行かないもんな。

 で、言いたいこととしては「千朝ってのは、何年やってるか知らんが、ゴミみたいな落語家ですね」ということです。いや、こういうのが好きな人もいるのかも知れん。「滑舌が良くて説明的でわかりやすい」というのは、まあ今の時代では一つの価値かも分からん。
 しかし、少なくとも私にとってこの落語家はゴミです。時間の無駄。申し訳ないが。

2008年12月26日

喬太郎「鬼背参り」

 久しぶりに落語で、不覚にも泣いた。

 いかにも怪談のように進行する噺。夢枕獏原作というだけあって、陳腐な怪談だと思っていると、実はこれは恋愛譚である。しかもこれは多分、喬太郎にしか出来ない噺だ。年寄りには出来ないし、これをやれるような若手は、そうは居まい。
 イメージとしては「立ち切れ線香」に、現代的な恋愛のクリシェを混ぜたような話だが、やはりこういう話には泣いてしまう。

 私が泣く落語と言えば、まあ「子別れ」ね、あとは米朝師匠の「一文笛」、それに匹敵する「泣きパワー」がある噺だった。

2008年10月15日

林家彦六の通勤定期

 面白い物を見付けた。
 あのね、大臣、こういう話があるんです。林家正蔵という八十何歳の現役で一番長い落語家さんです。これは通勤定期というのを持っているんです。通勤のときにはちゃんと乗るんです、それはその定期で。それ以外のときは、これは通勤でないからと言って払うんです。これは昔の人だと一概に言えない。私はすげえ、これこそ落語家が何か武士になったんじゃないかと思うような感じがするくらい私は偉いなと思ったことがあるんです。ということは、ぼくに全くできませんからね。こういう感覚を持っている人もいる。しかし、元来それが本当なんですわね。遊びのときはやっぱり使うべきでないと。
 上記リンクの中、の発言としてこの記述がある。松岡克由とは落語家、立川談志の本名で、これは彼が議員だった頃の発言。
 いかにも正蔵師匠らしいエピソードだと思う。正蔵師匠は淡谷のり子のファンで、彦六と名を変えた後にテレビで会っている。その時に泣いちゃったんだよね、たしか。なんというか純粋というか真面目で可愛らしい人だなあ、と思う。(参考)
 と思ったら小さん襲名を巡ってはひどいこともやってるみたいね。
5代目柳家小さん襲名をめぐり、彦六と弟弟子9代目柳家小三治と争い負けた。彦六の抵抗は凄まじく暴力団を介入させ、小三治の強力な後見人8代目桂文楽自宅に暴力団を押し寄せさせ、小さんの名を彦六に渡せと暴れ回ったと言われている。
 これは意外。名前のことではこの後もゴタゴタがあったようで、そこら辺は林家三平の項を参照のこと。良く言えば真っ直ぐ、悪く言えば融通の利かない人だったということか。

※林家彦六=林家正蔵(八代目)

※2008/10/16リンクはり直しました。

2008年05月02日

旧約聖書外伝:シバの女王

 その昔、南の女王がソロモン王から知恵を授かるため、はるばるエルサレムまでやってきた。しかしソロモン王の面会時間は夜明け前から太陽が出るまでの少しの時間。明日の夜明け前に来いと追い返される。

 しかたなく宿に下がった女王だが、実はこの人、夜になると大酒を飲み、朝が大の苦手。翌日も翌々日も深酒が祟って寝坊をし、王との面会時間に間に合わない。
 一週間ほどした真夜中、ある従者がたまりかねて女王を起こす。「女王様、お願いですから今日は起きてソロモン王との面会に出かけてください」

 しぶしぶ起きて出かけた女王、眠い目をこすりながらヨルダン川の浜辺で面会時間を待っていると、エルサレム神殿から時刻を伝える鐘の音が聞こえる
 「ああ、エルサレム神殿の鐘だ。神殿の鐘には金が混ぜてあるから音が違うと聞いたけれど、本当かしら」
 しかしよく聴くと、鐘を打つ回数が足りない。従者が間違えて、一時間も早く女王を起こしてしまったのだ。

 腹の立つ女王だが、宿に戻るのも面倒だと川面をなんともなしに眺めていると、キラキラと光るものがある。拾い上げると真鍮の指輪。「これはなにかしら」と思う女王の周りに靄がただよい、天使が舞った様に見えると、突然、女王にヤハウェの啓示があった。ソロモン王の知恵などおよばない、偉大な知恵が授けられたのである。
 指輪をにぎり、急いで宿に帰った女王は、これはめでたいと従者とともに大宴会。すっかり酔って昼間から床についてしまった。

 翌朝起きた女王は従者から「それで、いったい女王様は何を授かったので?」と訊ねられる。「なにがって、指輪を持って帰っただろう」「いえ、そんな物お持ちじゃありませんよ」と従者。「だって、夜明けを待つ間、ヨルダンの浜で」「女王様、ヨルダン川になんて行ってないじゃありませんか。それは夢ですよ」
 なんと、指輪を拾ったのも知恵を授かったのも、すべては夢だったのだ。

 それからの南の女王はすっかり改心し、大好きな酒も止めて神殿に日参を始めた。ソロモン王へも何度か面会し、十分な知恵を授かることができた、さあ国へ帰りましょうと思ったのがなんと三年後の秋の話。
 女王は従者とパンと苦菜、羊肉を食べながら、今年も静かにすぎこしの祭りが祝えることを喜ぶ

 ふと、一人の従者が古い指輪を出した。

 「なんだい、この指輪は」「実は女王様…」従者が言うには、女王が指輪を拾ってきたのは決して夢ではなく本当のこと。
 従者達は女王の酒癖の悪さに頭を悩ませ、いずれは国の一大事につながるかもと、結託してこの機会に嘘をついたのだ。
 「女王様のためとは申せ、このような嘘を…」「いやいや、よいよい。しかしあの啓示は夢ではなかったか。めでたいことだ」

 そこで別の従者がワインを捧げ持って出てきた。「女王様、三年もの間、よくご辛抱くださいました。今日は祭り、お召し上がりください」

 女王喜び「おお酒か。今日はめでたい、そなたも飲め」とは言ったが、しばらく杯の中のワインを眺めたかと思うと
 「いや、やめておこう。また夢になるといけない」

 お馴染み「シバ浜」の一席でございました。

2008年04月03日

劇団四季

 ふと思ったんだけど、劇団四季って中学校を巡回するような教育劇団になればいいのにね。
 いや、キャッツもオペラ座も好きだけどさ。結局四季って「ブロードドウェイ作品の版権を買うだけの財力がある茶番劇団」でしかないような気がする。
 役者の実力云々ではなく。

 はっきり言ってしょうもない。ただの「翻訳劇団」だろ?というような。

 いや、四季ファンっていうものの存在がよくわからんのですよ、僕には。一貫した物を何一つ感じないので。ただ売れる物をやってる、ってだけでしょう?
 なんだよアバって。テレ東の懐メロを舞台でやってまっせ、ってだけじゃない。正直に言うと、醜いよ。

 ただやっぱり、こういう劇が中学生に与える影響ってでかいわけですよ。すごい衝撃になる。だからそっちの方が良いよ、とか思った。

2007年12月20日

結局落語を殺しているのは噺家だと思う

 久しぶりに寄席に行こうと思って、主な寄席の下席の出演者を見てみた。
 これはひどい!マズい落語家と、聞いたこともない落語家ばかりであります。このトリ誰?二つめがトリとってんじゃねえか、というような。
 この顔ぶれを見て、誰が寄席に行くんだ。
 こんなことだから「何もすることがない年寄り」と「落語を『勉強』したい学生」しか寄席に来なくなる。

 今の東京で言えば小三治、権太楼、さん喬、喬太郎、志の輔、昇太、歌丸。僕の中で「聞ける噺家」というと、ここら辺どまりなんだけど、こういう人たちが寄席に出なければ話にならん。金にならないからとホール落語ばっかりやっていちゃあいかん、と思う。
 名人には名人の責務というのがあるわけです。落語というものがここまで凋落した現在において、その責務というのはめちゃくちゃ重いわけですよ。そういうの、米朝師匠なんかはよく分かるんじゃないかと思う。逆に言えば江戸落語界はこういう危機感を持ってないんだろうなあ。

 しかしいつも思うけど「ぴあ」のwebページはひどいね。あそこまで頑なに使いにくさを保っているページは珍しい。

 落語公演の検索はこれが便利だと思います
(社)落語協会 落語会情報

2007年12月18日

京須偕充「圓生の録音室」感想

圓生の録音室(ちくま文庫)
圓生の録音室 (ちくま文庫 き 23-2)
 京須偕充「圓生の録音室」読み終える。
 これは著者が三遊亭圓生の落語レコード「圓生百席」を企画し、それを録り終えるまでのノンフィクション。
 特に前半、著者が圓生師匠に企画を持ちかけ、録音が始まる当たりまでの記述に圓生という人の気質がよく出ている。
 特に私が感銘を受けたのが師匠のこの言葉
あたくしは、そりゃ圓朝大師匠を崇拝しております。(中略)しかしまァ、生意気なことを言うようですが、お客様は作品より演者を聴きにいらっしゃる。圓生を聴きにいらっしゃるんです。そりゃ、なかには作品を聴こうという方もあります。でも、そういう方も、圓生がやるから聴きに行こう、という……。ね? いかに名作でも、演者がセコじゃどうにもなりませんし、また魅力というものがない。(中略)ですから、レコードは圓生の名前で売れるんです。圓朝では売れません。
29〜30ページ
 「百席」に先んじて、著者は三遊亭圓朝の代表作数本のレコード化をもちかける。圓朝と言えば明治期に活躍した落語界最高のストーリーテラーである。
 その圓朝の代表作をレコード化するに当たり、レコードのタイトルを例えば「圓朝名作噺」のようなものにしてはいけない、飽くまでも看板は「圓生」だという。
 こういう台詞を聞いて「圓生はなんと嫌味な噺家だろう」と思うのか「さすが名人」と思うのか。ここが圓生嫌い・圓生好きの分かれ道かも知れない。
 圓生師匠という人は、志ん生師匠のような「天才」ではない。しかしだからこそ努力をしたし、そして自信家でもあったのだろう。

 その他、この本の前半にはケチで有名だった圓生の金銭感覚や、理屈っぽい拘りを物語るエピソードが盛り込まれている。圓生師匠の、このなんとも言えない「慇懃無礼」な所に魅力を感じる私にとって、この本は立派なアイドル本である。
 逆に、圓生嫌いが読めばもっと圓生が嫌いになれます。それほどまでにこの師匠のクセをよく描いた本。

 後半は落語の個々の演目について触れる部分が増え、だれてゆく。また、圓生が死ぬ前後の描写は聞き書きでも良いからもう少し書いても良かったのではないかと思う。ここら辺は残念だが、圓生自身の言葉をまじえ、この偉大な才能の晩年についてよく描かれているだと思った。

 まだ聴いたことがない、という人には圓生の口演によるCD「真景累ヶ淵」とあわせて購入することをおすすめします。

2007年11月20日

苦悩する落語

「あの噺家は不味い」とおっしゃってるいるうちは、まだ良いと、「落語はつまらないもんだ」と、「噺は聞いたって、君、つまらないよ。」って事になると全員みんなソッポを向ける。
こんだ、ひとりや二人上手いのが出たってもう駄目ですよ。
ソッポを向かれちゃって、落語ってものを全然お客様が聞かなくなっちゃう。
さっ、そうなれば、落語の滅びる時が来てしまう。
 あまりに適確に、現在の落語の落ちぶれ具合を予言しているので驚いた。
 テレビに出てくる落語家を見ていると、そのほとんどが落語という看板を食いつぶして生きているように見える。嘆かわしいことだ。
 しかしまあ、落語がなくなっても僕自身はそうは困らない。圓生、志ん生、志ん朝、米朝、枝雀、吉朝、小三治、馬生、喬太郎、金馬、彦六。今までに録音された名演がCDで聴けるうちは、落語界がどうなろうが知ったこっちゃない。

2007年11月06日

テレビ俳優に足りないのは「演技力」より「型」

 テレビドラマが見られない。出てくるテレビ俳優の演技がひどすぎて、見ていられないのです。
 で、僕はずっとそれは演技力、技術の問題だと思っていたのです。
 しかし、たとえば古い映画を見ても、演技のひどい俳優というのはいくらもいる。
 モノクロの時代劇に出てくるヒロイン(お姫様役)なんていうのは、十中八九ひどい大根です。
 しかしそれでもそんなに苦痛ではない。
 演技が下手なだけではそんなに苦痛ではないのだなあ、と言うことに気付く。
 しかしなんで福山雅治の演技は苦痛なのだろうか。
 (福山雅治を出したのは昨日映っていたからで、他意はない)

 とか考えていて、それは「型」なのではないのかなあ、と思った。型、というより「キャラクター」と言うべきかも知れない。この役はこういう表情をし、こういう抑揚で話し、こういう挙動をする、という型が出来ていない。テレビに映っているのは福山雅治にしか見えない。

 こういうのは多分「自然な演技が良い演技」という思い込みと、その真意の誤解から来るのではないかなあ、とか思った。「自然な演技」というのは「自分を自然体で出す」という事じゃあないのだと思う。
 舞台出身の俳優がテレビでも良い演技を見せるのは、そこらへんを正しく理解しているからなのかも。

 ただ、シリアスドラマで「型」を明確に打ち出すのって難しいのですね。コメディーだと強いキャラクターを出せるけど。で、こういうのってテレビ俳優の責任と言うよりも、脚本家や演出家の責任なのではないかと思えてきた。
 たとえば「北の国から」における田中邦衛の演技は「笑える」が、あのドラマはシリアス物として成立している、というようなこと。
 あとあれだね、今のテレドラマって「人気のあるタレントを出演させる」ことが大前提になってるから、みんな二枚目ばっかりで、タレントの顔ぶれもキャラクター性も均質になっちゃって、抑揚が持たせられないのですね。

 いい女といい男ばかりが出てくるドラマはつまらんと思うのでした。魅力のあるバイプレイヤーをもっと活かして欲しい。

2007年09月03日

三枚起請

 昨日の夜。志ん朝師匠の「三枚起請」を聞いていて、久しぶりに落語で爆笑した。
そういう冗談はな、まわりが機嫌のいいときに言えっ。
 絶妙の語気。
 今CD化されている志ん朝師匠の高座は、僕が10代の頃聞いたものと比べると少し劣る。しかし、最高レベルの落語であることに変わりはない。油断しているとやられる。

2007年08月08日

「東京人・三遊亭圓朝特集」を買った

東京人 2007年 09月号 [雑誌]
東京人 2007年 09月号 [雑誌]

 赤枕十庵さんのブログでその発売を知り、「東京人」の圓朝特集を購入。パラパラとめくって圓生師匠(6代目)に関する記述がほとんど無いのに憤慨する。今、圓朝作品の録音を聴こうと思ったらまず圓生師匠でしょう。最も重要な人物だと思うんだが。
 特集のメイン(冒頭)は歌丸と円楽。私の尺度で言えば、歌丸はまずくはないが特別にうまくもない噺家、円楽はまずい噺家であって、どうも釈然としない。
 しかし考えてみれば、志ん朝師匠も死んでしまってうまい落語家っていったい今、幾人いるんだろうか。
 権太楼なんかに圓朝について語らせてみたら、面白かったかも知れない。

 さて、圓朝という人についてですが、僕は深く知るわけではないが、この人は「落語の神様」なんていう文脈で語られるべきではない。落語という世界の中に囲っておいてはもったいないような作家だ。
 この人は、極めて近代的な感性を持って、近世的な枠組みの中で表現を行った人です。精神と科学についてずいぶん真面目に考えた人なんだろうと思う。
 たしか宮武外骨主催のオカルト研究会みたいなのにも入ってたんじゃなかったか?
 「真景累ヶ淵」の導入部だけ読んでも、明治期にこういう事を考えていた人がいたのか、と興味深い。

2007年07月30日

今日の検索ワード

公衆電話のチラシをはがし
 以前、この歌をAmazonで探したばっかりに「東京」の予測変換でホテトルが常に出てきて困った事がある。

2007年05月11日

落語「鰍沢」

金原亭馬生
NHK落語名人選 (94) : 十代目 金原亭馬生
三遊亭圓生
百席(9)掛取万才/鰍沢
古今亭志ん生
古今亭志ん生 名演大全集 32 鰍沢(かじかさわ)/粟田口(あわたぐち)
 もうずいぶん暑くなってきたので季節はずれだが、三遊亭圓生の「鰍沢」を聴いた。おそらく三題噺の最高傑作だろうと思う。
 圓生版は、どうも良くない。緊張と緩和の、特に緊張の部分がうまく描けていない。やはり言葉が過剰なのだろうと思う。説明的になってしまって、生と死の狭間にある恐ろしさや夢中さが無い。

 ここはやはり馬生師匠(10代目)を推したい。馬生の語り口は常におだやかだが、しかし言葉少なな中に、非常に張りつめた空気というか、人間の「覚悟」のようなものを感じる。
 あの口調と声は人情噺に良く、怪談に良い。滑稽噺も良いのだけれど、馬生師匠がやると、すこしブラックというか、ひねた笑いになる。これは好みの分かれる所、とは思う。

 さて、圓生百席の「鰍沢」の後にはお決まりの芸談が収録されていて、これが面白かった。圓生師匠が志ん生師匠の「鰍沢」を痛烈に批判している。
 この人は随分厳しいことを言っているが、名指しでここまで言うか、という感じで、芸の批判を超え、ほとんど人格批判みたいになっている。これは面白い。
 そりゃ圓生師匠、芸は素晴らしいがこれじゃあ嫌われるよ、という。そこまで含めて圓生師匠が好きなわけですが。

 で、ここまで批判されると志ん生版も聴きたい、というわけでいずれ購入します。

2007年05月09日

大仏と鯨の背比べ

 「潮」で思い出した。落語の中に出てくる洒落で、今では非常に分かりにくくなっている物の解説を書き留めておきます。

 奈良の大仏さんと、和歌山の鯨が背比べをする話。このオチです。
こら残念ながら、大仏っあんが負けたン。大仏っあん、金ですからな。カネとクジラで二寸、クジラの方が長かった。
 これは分かりにくい(笑)タネはこうです。
曲尺とは別に、用途別の尺も使われた。着物の仕立てに使われた鯨尺(くじらじゃく)・呉服尺などである。現在の鯨尺は曲尺で1尺2寸5分である。
 つまり、曲尺(かねじゃく)で測った1尺は、鯨尺では8寸になる。だから「二寸、クジラの方が長かった。」となる。(つーかこの項に前出のネタも併記されている)
 なんて事のない話ですが、ちょっと調べにくい話なので、ここにメモしておきます。

2007年01月29日

メモ:タモリが真似する落語二種

 数年前のタモリ倶楽部を見ていて、空耳アワーのコーナーでタモリが突然、落語のモノマネをしていた。タモリが真似する落語家はどうも、多くの場合、三遊亭圓生(六代目)であろうと思う。しかし、たまに古今亭志ん生(五代目)も真似しているようである。大雑把に言って、
・口をすぼめた感じで話している時:圓生
・口をひろげてだらしない感じで話している時:志ん生
 以上、落語を聴く人からするとアタリメの話ですがメモ。

初心者に絶対おすすめの歌舞伎DVD


 出る出る出る出る、ついに出る。
 猿之助の最高傑作と言っても良かろう、この作品がついに出る。収録時間が3時間弱ということで、ダイジェストっぽく編集されていそうだけれど、これは買わざるを得まい。
 1986年、猿之助が最も元気だった頃に復活させた傑作狂言。猿之助が早替わりを駆使して「10役」を演じる、ケレン大作。えー、生の舞台でここまでできるのか!?というイリュージョン。
 筋の方も面白い。当たり前だ、南北だもの。「千代萩」に「累」を合わせてパロディー化、御都合主義の偶然・因縁因果が重なって、という恒例のお話。

 そして当時から猿之助につきものだった宙乗り。僕は猿之助の宙乗りをいくつか見てきたけれど、この作品での宙乗りが一番好き。羽織はかまの仁木弾正が、空へ続く目に見えない階段を静かに登ってゆく見立て。
 当時僕は小学生か中学生だったけれど、未だにこの作品が猿之助の中で一番好き。3月発売なので予約しておく。

 派手な演出全開なので、歌舞伎を見たことがないという人にも自信を持っておすすめできる作品。さらに古典的な要素も兼ね備えているので、これから歌舞伎を見てみようと言う人にもぴったりだと思います。

・参考:慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)

2007年01月05日

亥年の年賀状

 「亥年の年賀状といえば、やはり斧定九郎だろう」と思ったんだけれど適当に検索してみた感じでは見つからない。
 斧定九郎というのは忠臣蔵(歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」)の登場人物で、闇夜に猪と間違えて撃ち殺される役です。猪と縁の深い人と言えば、やはりこの人。
 で、絵葉書も見つからないし仕方がないので今年は見送るとして、じゃあ来年の年賀状はどうするか、というともう腹案はあるのです。
 仁木弾正。こちらも歌舞伎の登場人物。「伽羅先代萩」で、お家転覆を狙う悪臣なのですが、妖術を使って鼠に化ける。子年の年賀状にふさわしいと言えるでしょう。

2006年11月30日

実相寺昭雄の訃報

 実相寺昭雄が死んだ、というのはもちろん非常に残念なことなのですが。
 僕は一瞬、いかりや長介が死んだ時のような、不謹慎なことを思った。
 いかりや長介の訃報を受けたとき、僕は思った「追悼番組として、TBSの全員集合が再放送されるんじゃないか?」と。
 今回僕は「D坂の殺人事件」がDVD化されるんじゃないか?と思ったのだった。
 そんなことを思ってたら、なんだ、もうDVD化は進行してるのですね。
 「怪奇大作戦」のイヤーなクラーい感じも好きだけど、やっぱり「屋根裏の散歩者」と「D坂〜」で再現した江戸川乱歩のあの感じ、大正昭和のあの感じが、僕はとても好きでした。 

2006年11月28日

おすすめの映画いくつか

はてなブックマーク - 【2ch】ニュー速クオリティ:自称映画通にオススメを聞くと必ずあげる作品は?
 考えてみれば「自分が好きな映画」と「人に薦める映画」は違うわけで。
 例えばここに「基本的にハリウッド映画しか見ていない人」を想定してみる。日本映画であれば「踊る大捜査線」とかジブリとか見る人。そういう人に「おすすめの映画ある?」と訊かれた場合、何を薦めるかなあ。
 間違っても、フェリーニとかビスコンティは挙げるべきではない。黒澤映画も非常に微妙。

デリカテッセン
デリカテッセン <デジタルニューマスター版>

 やっぱり「デリカテッセン」かなあ。楽しく、ブラックで美しい映画。カニバリズムを描きながらここまで笑える映画というのは奇跡的だと思う。
 恋愛映画なら「髪結いの亭主」
 アメリカ映画であればティムバートンの最初の「バットマン」
 ヒッチコックの「裏窓」も古いが楽しめる映画。例えば「サイコ」みたいな斬新な話って、その後の模倣を経て陳腐になってゆく物だから、今見ても大して面白くないわけです。スタンリー・キューブリックも同様で、今見ても大して面白くない。

ソナチネ
ソナチネ

 日本映画ならやはり北野武でしょうか。「BROTHER」とか「キッズリターン」が見やすいけど、やっぱり「ソナチネ」をおしたい。日本映画の恋愛ものでおすすめは何だろう?思いつかない。思い切って新藤兼人の「三文役者」を大きな意味で恋愛ものと位置づけてしまうか。

12人の優しい日本人
12人の優しい日本人

 あー、日本映画で大事なのを忘れてた。「12人の優しい日本人」、これはまあ、すごい映画です。密室劇を、そのまま映画にしてしまって、しかも恐ろしいほどのエンターテインメント性。うわ、こういう映画があるんだ!と見たあとで気付く作品。

2006年11月21日

志ん朝版「黄金餅」で東京散歩

・「麻布 瑠璃仙 (るりせん)」で検索してここに来る人が多いようなので、みうらじゅんが「ザ・スライドショー」で触れた麻布・瑠璃仙に関する話へリンクしておきます。
麻布・瑠璃仙の正体発覚

 おなじみ、落語「黄金餅」の一節。長屋の一行が、葬式を挙げるためのお寺に行く道中を描いた物。長くなりますが、原文を引かせてください。
 下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下イやってまいりまして、三枚橋を渡って上野広小路へ出てきた。あれから御成街道をまっすぐにまいりまして、その頃、堀様と鳥井様のお屋敷の前をまっすぐに、筋違御門から大通り、神田須田町へ出てまいりまして、新石町から鍛冶町、今川橋を渡って本銀町、石町から本町、室町を抜けまして、日本橋を渡って通四丁目、中橋から南伝馬町を抜けまして、京橋を渡ってまっすぐに、尾張町をまいりまして、新橋を右に切れて土橋から久保町、新し橋の通りをまっすぐに愛宕下イ出てまいりまして、天徳寺をくぐって神谷町から飯倉六丁目。坂を上がって飯倉片町。その頃、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を下りまして、十番を出て大黒坂を上がって、一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺へ着いたときにはみんなずいぶんくたびれた・・・。
(注:ト書き・振り仮名は省略しました)
 昨日買った「江戸東京散歩」を隅々まで見て、なるべく忠実に現代に置き換えてみました。
 台東区の保健所を出まして、あれから上野の駅前にやってまいりまして、アブアブ赤札堂を左に見て上野広小路へ出てきた。あれからアキバへまっすぐにまいりまして、その頃、メッセサンオーととらのあなの前をまっすぐに、万世橋から銀座中央通り、神田須田町へ出てまいりまして、東京メトロ神田駅から鍛冶町、今川橋の交差点を渡ると左手にセブンイレブン、新日本橋駅からマンダリンオリエンタル、三越を抜けまして、日本橋を渡ってコレド日本橋、高島屋から明治屋を抜けまして、高速をくぐってまっすぐに、和光へまいりまして、ドンキホーテを右に切れて十仁病院からJR高架をくぐって、場外を過ぎてからイイノホールとは反対に曲がってフォレストタワーに出て参りまして、NHK放送博物館から天徳寺を抜けてオランダ大使館からロシア大使館。坂を上がって飯倉片町。その頃、麻布瑠璃仙という弁当屋の前をまっすぐに、麻布の長坂を下りまして、十番を出てピーコックの方へ上がって、オーストリー大使館から麻布絶口釜無村の木蓮寺へ行くには、どうぉ行たらよろしやろぉぉぉ(さいご枝雀風に)
 なにぶん実際に歩いていないので違っている部分もあるだろうけれど、大体こんなもんでしょうか。ちなみに「麻布絶口釜無村の木蓮寺」という村も寺も実在しません。当たり前か。さらに言えば「麻布瑠璃仙」も実在しない(というか実在したけど多分既に潰れている)ので念のため。
 「志ん朝の落語」の解説によると、志ん朝師匠と志ん生師匠ではこの部分が微妙に違うとのこと。志ん朝師匠は自身で切り絵図を見ながら手直しを加えたらしい。落語家というのも実は細かく地道な作業をしているのですな。ざっと見てみて「三枚橋」というのは「三ツ橋」の間違いかな、という以外に不自然な部分はなく、割と素直にたどれました。
 そういえば柳家喬太郎も、これを横浜に置き換えてやっています。

志ん朝の落語 5 浮きつ沈みつ
志ん朝の落語 5 浮きつ沈みつ

2006年11月20日

「江戸東京散歩」を買った。

 バキッと購入、そしてこれがドンピシャでした。
 子供の頃、朝日新聞のサービスか何かで江戸切り絵図が毎月もらえるなんていうのがあったのです。あれはうれしかったのだけど、江戸時代の切り絵図単体でもらっても、それが今のどこに当たるのかなんて分からないわけで、子供の僕にとってそれは「うれしいけど役には立たないもの」だった。
 あれから20年を経て、この本に出会ったわけですが、これは良い。
 左側に江戸時代の地図(切り絵図)、右側に今の地図が描かれていて、当時のここが今のどこか、というのがかなり正確に分かります。
 東西南北がページによってバラバラなので多少見にくいですが、それに慣れれば非常に分かりやすい。
 この本と「坂道美学入門」の二冊があれば、東京歩きが絶対に楽しくなる。東京初心者から東京上級者まで、東京周辺に住んでいる好事家にとってはまさに必携なのではないかと思います。
 そしてもちろん、江戸落語好きにも。今日は帰って「黄金餅」のテキストとこれを見比べながら一杯飲もう。

2006年09月26日

マルクス兄弟は「頂点」ではない。

『我カモ』観ると、ほかのたいていのナンセンスギャグがつまらなく見えるという難点が。
 そんなことはないと思います。チャップリン、キートン、モンティパイソン、それぞれに良さがある。マルクス兄弟の笑いを経験したからと言ってそれらが色あせることはない。ナンセンスギャグという物に限っても、天才バカボンとか初期のタモリとか、あれもマルクス兄弟にはない面白さだと思うし。あー、あとパタリロも好き。と、いきなり話が飛ぶ。
 まあ確かにですね、三バカ大将とかダニーケイとか、ロイドとか、そこら辺と比べるとね。そりゃあ「マルクスブラザーズを見たら、他のお笑いは見られないよ」というのはあるんだろうな、と。でも、それって結局「今に残っていないお笑い」であって、所詮はそういう事なのだと思います。
 今も語り継がれ、そして実際に見られているコメディーというのは、やはりそれぞれ面白いと思う。
 って、結論はあまりに当たり前ですが。

2006年06月30日

海が出てくる落語

 東京は海に面した土地である。しかし、それを意識していない人は多いんじゃないか。僕も、映画「つぐみ」を見た時に初めてそれを実感した。あのオープニングは良いね、銀座から築地に至るシーン。
 しかし不思議なのは、海にまつわる落語の少なさ。思い当たるのは「芝浜」、「品川心中」くらい。「佃島」や「居残り佐平次」も海に近い土地の話だけれど、具体的に海の情景は描かれていない。
 江戸時代は、埋め立て部分が今より少なくて、物理的には海が近かったはずなんだけど、生活に近い存在ではなかったのだろうか。

2006年06月20日

東京乾電池「長屋紳士録」

 先日、NHKの舞台中継で東京乾電池の「長屋紳士録」が放映された。
 小津安二郎原作ってことで、僕は喜んで録画したのだった。

 で、見始めて10分くらいで消した。
 これはママゴトだな、と思ったのだ。柄本明が小津ファンなんだろうと思う。好きで好きで、それを舞台にした。楽しんで舞台にした。
 それだけの作品なんだろうな、と。正直、こういうレベルの芝居で4000円という金を取るのはどうかと思うわけだけど、まあ、そこまではいい。

 なんでNHKはこれを取り上げたんだろう?小津作品のセリフそのまんまのシーン、そして暗転。その繰り返し。テンポも何もあったもんじゃない。なんであんな低レベルな物を取り上げたんだろうか。
 実際、10分くらいしか見ていないので、もしかしたらあのあと面白くなるのかも知れない。東京乾電池のことを僕は全く知らないので、ああいうのが持ち味なのかも知れない。
 でも僕は、それだけ見て「ああ、これママゴトだ」と思った。あれを舞台中継で流す意図も意味もよく分からなかった。

2006年04月14日

中村仲蔵

 先日、圓生師匠の「中村仲蔵」を聴いていて、しみじみと反省してしまったのでした。
 実は、彦六師匠がやる「中村仲蔵」の方が好き。圓生師匠の仲蔵は前向きすぎる。ただ、それだけに感じ入る部分があったのです。

 この中村仲蔵という人は、良い役者の家系に生まれたわけではないけれど、大出世をした人なのですね。それは歌舞伎界ではまず無いことなのですよ。家柄第一の業界ですからね。それは昔も今もそうは変わらない。
 しかし、この仲蔵という人は随分努力して、立派な役者になる。普通ならあり得ない話です。それだけ努力して、名の知られた役者になるわけ。
 そんなある時、ある芝居で、随分つまらない役をやれ、と言われるんですね。本来ならば自分よりもずっと格下の役者がやるような、下っ端の役をやれ、と言われる。
 これは芝居の作家のいじわるで、仲蔵をいじめてやろうという事なわけです。
 でも、仲蔵はこう考えるのですよ。「こんなにつまらない役でも、仲蔵がやればこんなに良い役になる、っていうのを見せてやろう」と。

 で、色々と工夫して、ほんのチョイ役だったその役を、立派に演じきってみせる。観客が大いに感動して、江戸中の評判になる。
 そういう話です。
 この「つまらない役」というのが忠臣蔵の斧定九郎(おのさだくろう)で、今では忠臣蔵の中でも特に良い役という位置づけになっています。トップクラスの役者がやる役。

 で、この話を聴いてですね、僕は随分と反省をした。というか、仕事というのは、こういう気持ちを持ってしなければいけないと思った。この仕事、自分ならこうする、自分ならではのやり方をする。一見つまらない仕事でも、自分がやれば、こんな成果が出る、こんな事が見えてくる。それが、自分の職場における価値だ、と思う。
 基本的な事なんですけどね。数年前まではそういう事を常に考えていたけど、最近あまり考えていなかった。

2006年03月25日

アップトゥデイトなんてしなくて良いのだ!!

 おそらく初めて、タイトルにエクスクラメーションマークを二つも付けてしまった。
 先日、ある飲み屋で、落語のことを話している二人組を見付けたのです。
 こっそり聞いていると、業界にもある程度通じていて、かなりの頻度で落語を聴いているらしい。
 僕はと言えば、最後に落語を生で聴いたのが5年ほど前、という感じなのでした。
 で、続けてこっそり聞いていると、出てくる名前は「権太楼、喬太郎、小朝、志ん朝」まあ、こんな物だった。
 ああ、なーんだ、と思った。
 アップ・トゥ・デイトなんてしなくても良いんだ。好きな物を適当に聴いていれば、それが正しいんだ。
 現に、生では全然聴いていない僕と、しょっちゅう聴いているこの人たち、そのレベルはほぼ同じだ。評価している落語家も、内容も、ほとんど同じ。そういう物なのか。
 かえって、件の人たちの方が落語を知らないんじゃないか。上方落語については一言も触れていなかったもの。
 まあ、落語って言う、特殊な業界の話だからね。でも、ああ、そんなものか、と安心したようながっかりしたようなエピソード。

周防正行監督

 この記事を読んで思いだした。
 僕は「Shall we ダンス?」のことを、駄作だとは思わない。それなりに良くできた映画だと思っているのだった。
 でも、僕の中では「シコふんじゃった」の方が名作だと思うし、個人的には「ファンシィダンス」の方がずっと好きだ。
 そんなわけで「Shall we ダンス?」だけが何故か注目されることにすごく不満を感じているのでした。
 上記三作の中では一番「日常に近い設定」だったからかな。多くの観客にとって「自分にもできる冒険」のように感じられたからだろうか。

 そういえば周防監督は、このように「身近だけどよく分からない裏側」を映画にしていて、伊丹十三に似ている部分がある。「タンポポ」のメイキングを監督したのが確か周防監督だったねぇ。
 縁があるのだなあ。

2006年01月23日

雪が降る効果音

 歌舞伎で、雪が降っている場面を表現するのには太鼓の音を使う。
 大きい太鼓を、太いばちで弱く叩くような音。

 ドンドンドンドンドンドンドンドン、、、

 という音。実際に雪が降る時に音がするわけではなく、重い雪がゆっくりと積もる様子を音で表現した物だろう。言うなれば「擬態音」か。
 静けさを表現する音。
 僕はこの効果音が好きです。

 蛇足ですが静かさを表す「シーン」という言葉を初めて使ったのは手塚治虫らしいです。
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