先日、
圓生師匠の「中村仲蔵」を聴いていて、しみじみと反省してしまったのでした。
実は、
彦六師匠がやる「中村仲蔵」の方が好き。圓生師匠の仲蔵は前向きすぎる。ただ、それだけに感じ入る部分があったのです。
この中村仲蔵という人は、良い役者の家系に生まれたわけではないけれど、大出世をした人なのですね。それは歌舞伎界ではまず無いことなのですよ。家柄第一の業界ですからね。それは昔も今もそうは変わらない。
しかし、この仲蔵という人は随分努力して、立派な役者になる。普通ならあり得ない話です。それだけ努力して、名の知られた役者になるわけ。
そんなある時、ある芝居で、随分つまらない役をやれ、と言われるんですね。本来ならば自分よりもずっと格下の役者がやるような、下っ端の役をやれ、と言われる。
これは芝居の作家のいじわるで、仲蔵をいじめてやろうという事なわけです。
でも、仲蔵はこう考えるのですよ。
「こんなにつまらない役でも、仲蔵がやればこんなに良い役になる、っていうのを見せてやろう」と。
で、色々と工夫して、ほんのチョイ役だったその役を、立派に演じきってみせる。観客が大いに感動して、江戸中の評判になる。
そういう話です。
この「つまらない役」というのが忠臣蔵の斧定九郎(おのさだくろう)で、今では忠臣蔵の中でも特に良い役という位置づけになっています。トップクラスの役者がやる役。
で、この話を聴いてですね、僕は随分と反省をした。というか、仕事というのは、こういう気持ちを持ってしなければいけないと思った。
この仕事、自分ならこうする、自分ならではのやり方をする。一見つまらない仕事でも、自分がやれば、こんな成果が出る、こんな事が見えてくる。それが、自分の職場における価値だ、と思う。
基本的な事なんですけどね。数年前まではそういう事を常に考えていたけど、最近あまり考えていなかった。