2008年02月27日

「パイクカー」のこと

Midas パンダをベースにしたパイクカーを工賃を下げるためポーランドで作り、当然パンダより高く売るという、現行のビートル(ゴルフベースでメキシコ生産)と同じ構図のグローバル商品。ジアコーザ博士の志しはどこへ
はてなブックマーク - フィアットの最新コンパクトカー 新型フィアット500を3月15日(土)より販売開始
 そうなんだ、なるほどなあ、と思った。今って、日本でも世界でも、そこそこ有名な企業が過去の栄光にすがりついて、ブランドを食いつぶしているようなケースが多いんじゃなかろうか。なんとなくそんなことを思った。そういう事を考えるとトヨタは偉大なのかも知れない、とか。個人的には好きではないが。

 さて、上記コメント中にあった「パイク・カー」ですが、調べてみるとどうも固有名詞らしい。
初代マーチをベースに、「槍(pike)」のようにとんがったクルマをコンセプトに開発された。
 日産のフィガロ、パオ、Be-1というシリーズですね。フィガロが復刻されたら僕は多分買う。
 パイクカーという言葉を普通名詞のように使っているケースもあるんですが、和製英語だと思うので少なくとも海外では通じないでしょう。
 日産の商標かなあ、と思っていたらパイクカーという商標は取っていない。しかし「PIKE FACTORY」という商標は取ってるのですね。商標登録番号:第2360600号
PAOが発売された時に、その販促(?)でつくられた期間限定のアンテナショップ
 そんなのがあったのか。しかし登録商標では呼称が「ピケ」になっている。どういうわけなんだろうか。
この記事へのコメント
パオやフィガロは海外に熱狂的な愛好家がいて、たしかイギリスには専門店もあるくらいですから、そのうち「パイク」も「カイゼン」みたいに(ちょっと違うか)広く認知されてくんじゃないですかね。
そういえばこないだ、たまたまパオに乗る機会がありましたが、昔の日産ぽくて現行のマーチなんかよりよほどよくできてると思いました。
たとえばニュービートルの助手席がわフロントフェンダー前方って、ハンドルを握ってるとぜんぜん見えなくて、すごい危ないんですよ。なにかをベースとしたパイクカーてのは、結局はそういうことなんじゃないかと。
Posted by midas at 2008年02月27日 15:50
■midasさん
 僕はフィガロのファンですよ。当時高校生だったと思うけど、カタログを持ってました。僕のイメージではBe-1はファンシー車、フィガロはイタリア車、パオはフランス車。
 Be-1だけ嫌いです。ニュービートルは醜悪な車だと思います。ファンシーありきの車だと思うから。Be-1とニュービートルって同じ系譜だと思うんですよ、今のtwinと同じ。ミキハウスでしょう、結局あの嗜好って。ニュービートルなんか、その嗜好のためにいろいろ犠牲にしているのがよく分かる、非常に悪いデザインですね。

 で話変わって「パイク」って違うと思うんですよね、パオやフィガロを愛好するヨーロッパ人って「前衛」じゃないでしょう、むしろ懐古趣味で、日本なら光岡に乗るような人じゃないかと思います。独特の美意識ではあるけれど「鋭利」とは違うイメージです。
 そういえば美輪明宏はフィガロの改造車に乗っているらしいですが、そういう感じ。
Posted by LSTY at 2008年02月27日 22:28
そんなに思い入れがあるなら、復刻などと言わず、1日でも早く買ったほうが賢明だと思いますよ。詳しくは知りませんが、おそらくはほとんど手作りでしょう。今後ああいう「たたずまい」や「作りこみ」を日本車で表現するのは、絶対に不可能です。わが国の自動車工業史における、ある種の到達点(パイク?ピーク?)に違いありません。高田工業や愛知機械みたいな会社は、もっと評価されていいはずです。ちなみにフィガロは、エリック・クラプトンも乗ってたりするんですよね。あの人はたいへんなカーマニアですから。

そういえば「東京トンガリキッズ」なる小説がありましたが、たぶんパイクてのは、もとはそういう流れだったんじゃないですかねぇ。きっと今よむと、軟派な若者たちがどこぞのブログ村みたいなドーナッツ・トークをくりひろげてるこいつの、いったいどこが先鋭なんだ??と感じるのではないでしょうか。とまあ、それは言いすぎだとしても、先端ほど歴史の波に洗われて、いっきに「なんで?」と難解なものになってしまうのです。だから社会学からアプローチするしか、すべはないのですが
1)当時はポストモダンがかっこよかった
2)ポストモダンは「歴史の終り」のような引用文化である
3)つまり機能優先のモダニズム、とくにそれまでの自動車デザインとは正反対
4)「うちら日産も、ぜひこの路線にチャレンジしましょう!」と誰かが会議で発言
5)ポストモダンは「歴史じゃない」んだから、「前衛」も存在しない。歴史が自らの正当性を証明するのが「前衛」。歴史はなにも証明しない
6)「デザインはレトロというかレトロフューチャーというか引用でいくとして、このわれわれのトンガリぐあいをどうアピールしたら?」
7)時間軸でなく、高さのイメージでいいんじゃね?よこのものをタテにすりゃいいんだよ
ひとことで言うなら「歴史が終わった状況では、レトロこそ先鋭だった」てやつですかね(この「レトロ」は「懐古」ともちょっと違います)。もっとも現在のわれわれは、そのような逆説的状況からまだ、1歩も踏み出してはいないのですが。

いうまでもなくレトロってのは元ネタがあるわけですから、ちょっと間違うとファンシーになったり、肝心の機能面であるまじき欠陥が見つかったりして、なかなか元ネタを超えるのは難しいんですよ。ニュービートルやGT40は、あまりにも元ネタべったりだったので足をひっぱられました。個人的には500も怪しいもんだと。しかし今やファッションにせよ音楽にせよ、同じ話ですからね。トヨタだっていっしょだと思いますよ。いま流行の「プラットフォームのつかいまわし」は、パイクカーの文法そのものではないでしょうか。




Posted by midas at 2008年02月28日 05:43
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