2007年12月20日

結局落語を殺しているのは噺家だと思う

 久しぶりに寄席に行こうと思って、主な寄席の下席の出演者を見てみた。
 これはひどい!マズい落語家と、聞いたこともない落語家ばかりであります。このトリ誰?二つめがトリとってんじゃねえか、というような。
 この顔ぶれを見て、誰が寄席に行くんだ。
 こんなことだから「何もすることがない年寄り」と「落語を『勉強』したい学生」しか寄席に来なくなる。

 今の東京で言えば小三治、権太楼、さん喬、喬太郎、志の輔、昇太、歌丸。僕の中で「聞ける噺家」というと、ここら辺どまりなんだけど、こういう人たちが寄席に出なければ話にならん。金にならないからとホール落語ばっかりやっていちゃあいかん、と思う。
 名人には名人の責務というのがあるわけです。落語というものがここまで凋落した現在において、その責務というのはめちゃくちゃ重いわけですよ。そういうの、米朝師匠なんかはよく分かるんじゃないかと思う。逆に言えば江戸落語界はこういう危機感を持ってないんだろうなあ。

 しかしいつも思うけど「ぴあ」のwebページはひどいね。あそこまで頑なに使いにくさを保っているページは珍しい。

 落語公演の検索はこれが便利だと思います
(社)落語協会 落語会情報
この記事へのコメント
若い連中はもがきながら、昔の私のように、中略 私の危機感は一向に去らないけれども、絶望はしていない。米朝、三集上方落語ノート130ページ。ほんとにその通りですね。枝雀、吉朝なく、米朝が年老いた今も、吉弥の台頭、千朝の復帰等、絶望する必要はないですよね。
Posted by 熊吉 at 2009年10月16日 03:18
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