2007年12月18日

京須偕充「圓生の録音室」感想

圓生の録音室(ちくま文庫)
圓生の録音室 (ちくま文庫 き 23-2)
 京須偕充「圓生の録音室」読み終える。
 これは著者が三遊亭圓生の落語レコード「圓生百席」を企画し、それを録り終えるまでのノンフィクション。
 特に前半、著者が圓生師匠に企画を持ちかけ、録音が始まる当たりまでの記述に圓生という人の気質がよく出ている。
 特に私が感銘を受けたのが師匠のこの言葉
あたくしは、そりゃ圓朝大師匠を崇拝しております。(中略)しかしまァ、生意気なことを言うようですが、お客様は作品より演者を聴きにいらっしゃる。圓生を聴きにいらっしゃるんです。そりゃ、なかには作品を聴こうという方もあります。でも、そういう方も、圓生がやるから聴きに行こう、という……。ね? いかに名作でも、演者がセコじゃどうにもなりませんし、また魅力というものがない。(中略)ですから、レコードは圓生の名前で売れるんです。圓朝では売れません。
29〜30ページ
 「百席」に先んじて、著者は三遊亭圓朝の代表作数本のレコード化をもちかける。圓朝と言えば明治期に活躍した落語界最高のストーリーテラーである。
 その圓朝の代表作をレコード化するに当たり、レコードのタイトルを例えば「圓朝名作噺」のようなものにしてはいけない、飽くまでも看板は「圓生」だという。
 こういう台詞を聞いて「圓生はなんと嫌味な噺家だろう」と思うのか「さすが名人」と思うのか。ここが圓生嫌い・圓生好きの分かれ道かも知れない。
 圓生師匠という人は、志ん生師匠のような「天才」ではない。しかしだからこそ努力をしたし、そして自信家でもあったのだろう。

 その他、この本の前半にはケチで有名だった圓生の金銭感覚や、理屈っぽい拘りを物語るエピソードが盛り込まれている。圓生師匠の、このなんとも言えない「慇懃無礼」な所に魅力を感じる私にとって、この本は立派なアイドル本である。
 逆に、圓生嫌いが読めばもっと圓生が嫌いになれます。それほどまでにこの師匠のクセをよく描いた本。

 後半は落語の個々の演目について触れる部分が増え、だれてゆく。また、圓生が死ぬ前後の描写は聞き書きでも良いからもう少し書いても良かったのではないかと思う。ここら辺は残念だが、圓生自身の言葉をまじえ、この偉大な才能の晩年についてよく描かれているだと思った。

 まだ聴いたことがない、という人には圓生の口演によるCD「真景累ヶ淵」とあわせて購入することをおすすめします。
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