2007年09月23日

知と恐怖心について

 メモです。
 確か小学生の時、ある女の子が文集に「学年が上がって、知っていることが多くなると、怖いことが増える」と書いた。
で、当時の教師は、彼女を問いつめたわけだ「怖いことが増えることはないよ」ってなことだった。
 こういうのっていうのは、鈍感な大人特有の考え方ですね。「知識が増えれば、恐怖が減る」というのは、短絡的な考え方です。
 知を得る、というのには段落がある。
 事実を知り、それへの対処法を知る。
 前者が恐怖を知る段階であり、後者がそれを解決する段階だ。
 小学生だった彼女は、その自覚があったかは知らんが、その感想はまったく的確なものだった。それを問いつめた教師は、なんというか愚の骨頂といいますか、教師の資格無しです。勉強も想像もしていない。大人と子供とは違う。
 しかし大人になった僕が、子供の心をシミュレートするのはとても難しい。教育というのは、システムからちゃんと見直すべきなんじゃないかと思った。
 これは蛇足だろうけど、脳みその働きがちゃんと解明されないのであれば、教育を科学するのは無理でしょう、経験、つまりデータベース化で対処するしかないのじゃないか。
この記事へのコメント
面白い話ですねー。インドのカルパタルの木の話みたいですの。

すごい少女がいたもんだ。

してからに、またそういう話をよく憶えているLSTYさんも妙ですよ。
Posted by めいろ at 2007年09月25日 00:27
>インドのカルパタルの木の話みたいですの。

わからんて!
どういうわけだか、当時教師に持った違和感というのはよく覚えているのですよ。
Posted by LSTY at 2007年09月25日 15:32
小学5年生の時にね、「ふんいき」と「ふいんき」どっちが正しいかクラス会で教師がいきなり多数決を対案して「ふいんき」と締結されたことがあってものすごく憤慨したことを覚えているよ。

教師もひとりの人間で、生徒から学ぶために教師になったんだな。。。
Posted by めいろ at 2007年09月26日 12:50
■めいろさん
カンペキのペキの下側が「土」だってなものですね。

「あってるのに…」byいとうせいこう
Posted by LSTY at 2007年09月26日 18:44
はじめまして。「頭のいい人は批評家には適するが、行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴うからである」という言葉を思い出しました。リスクとか危険を察知するためには、その前提に相当の知識が必要なんですよね。
Posted by NED-WLT at 2007年09月27日 22:36
はじめまして。小学生の頃、大人になると神経も発達するので、注射をもっと痛く感じるようになるのではないかと不安でした。先生は、大人になれば我慢する神経も発達するから、大丈夫って言ってたけれど、納得できなかったです。
案外無神経な大人に育ったので、心配することなかったんですけどね。
Posted by みなと at 2007年09月29日 13:42
■NED-WLTさま
 危険を知るのにも、危険に対処するのにも知識が必要ですね。

■みなとさま
>大人になると神経も発達するので、注射をもっと痛く感じるようになるのではないか

 これは独特で面白い感覚ですね。

>先生は、大人になれば我慢する神経も発達するから、大丈夫って言ってた

 子供を馬鹿にしきった言い草ですね。
 しかし実際の所はどうなんだろう、子供の頃から注射が「痛かった」ことなんてないような気がします。ただ「怖かった」だけで。
Posted by LSTY at 2007年10月01日 11:14
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Excerpt:  あんたジャージでどこ行くの: 知と恐怖心についてに触発されて、私が思ってることを書いてみる。 知ること=己の無力さを知ることだと思う。なぜなら、今まで知らなかったことについての判断は感やイメージと..
Weblog: 宇宙を飛ぶイルカ
Tracked: 2007-09-24 21:31
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