いま、小中学生に対してどういう風に戦争を教えてるのかは知らん。でも、あのままで良いとは思わない。というか、感情で動く層っていうのはあって、そういう人に対してはそういう説明で良かろうと思う。
しかし、もっと理性的な判断をする人に対して、そんな感情だけの教え方ではいかん。それは、ある意味、教育の持つ可能性の放棄だとか思う。
戦争というのは経済的な問題によって起こる。僕は少なくとも高校生になるまで、戦争と経済について教わったことがなかった。何故教わらなかったのか、といえば教師が無能だったからだ。
結局、あのクズ教師たちに語ることができたのは「平和最高、戦争最低」というイデオロギーだけだ。つまり、やつらは「戦後気分をそのまま50年間ひきずったひとたち」でしかない。くだらん。
「平和ってサイコーだよね!だって、戦争はサイテーだもん!」としか言えない人間ほど危険な存在はないように思う。
大切なのは、戦争というのは大きく見た場合、純粋に「損得」の問題から起こるという認識と、あとは「自分が損をしたって、まあ良いじゃないか」という達観である。
このどちらもできる人というのは少ない。
教師って最低のやつがなる職業だから。
私は当時の教師の人格まで否定する気はあまりないです。義務教育の場では「全員に同じレベルの教育をほどこす」というのが前提になるので、戦争を感情的に教えるというのは効率的で、ある意味正しい手法ではある。
ただ、それだけでは足りない層というのもあって、そこをフォローできなかったというのは、彼らの無能ゆえ、とは思いますが。
しかし小学校や中学校で「ああ、この先生の話すことは論理的で美しいなあ」と思える人は居なかったですね。覚えていないだけかも知れませんが。