2007年07月27日

住む世界によって言葉が変わる。

 学生の時、たしか近世文学の授業で「大門通り(おおもんどおり)」を「だいもんどおり」と読んだ人がいた。
 教授が

「この通りは、文字通り『大門』という門につながる道ですが、この大門というのはなんの門だか分かりますか」

 と訊いた。大門を「だいもん」と読むような学生に分かるはずもない酷な質問だが、その学生はしばらく考えて答えた。

「皇居。」

 世が世なら不敬罪でお縄である。
 大門というのが吉原の入口だったというのは、多少なりとも近世文化を知る人間にとって常識だけれど、しかし学校で教えてくれるような話ではなかろう。
 考えてみれば僕は落語好きだったせいで近世文学の授業ではずいぶん得をした。趣味や家庭環境、いわば「住む世界」によって、知っている言葉は変わるし、使う言葉も変わる。
 書く文章も変わるだろうと思う。書いた文章が誰に影響されているのか、というのは割りと自分でも分析できるけれど、話し言葉がいったい誰の影響を受けているのか、どんなバックボーンを持っているのか、というのは分かりにくい。
 僕の場合、言葉の選び方は伊丹十三に影響されていそうだ。語り口は江戸落語と上方落語の折衷だろうか。「水曜どうでしょう」の影響もそれなりにあるだろう。
 自分が使う言葉から、自分の背景に何があるのかを探索してみるのも楽しい。
この記事へのコメント
記事に関係有るのか、ちょっと微妙な話題です。

子どもの頃見てずっと脳裏に焼きついていたサントリーウィスキーのCMです。

  「詩なんかよりうまい酒を、なんておっしゃる。
    あんな男ちょっと居ない」のらんぼう編です
http://www.youtube.com/watch?v=YotCl8xcRtk&mode=related&search=

その他「ガウディ」編
「ソクラテスかプラトンか」編 
があります。
LSTYさんに無理矢理見せにきました。


 
Posted by そら at 2007年07月29日 15:19
■そらさま
 いかにも80年代な感じですね。
 色の劣化具合とかがパラジャーノフっぽい(笑)
 80年代のコピーライター全盛期の言語感覚って、僕自身は身につけていないつもりでいるんですけど、実は染みついているのではないかと今ふと思いました。
 やっぱり「おいしい生活」という言葉が出現する前後で、日本人の言語感覚って大きく変わったのではないかと。
Posted by LSTY at 2007年07月30日 08:57
言葉って自分の興味や嗜好で使う重量がある程度決まると思うので、映像と音楽と言葉の融合体であるテレビの影響って単純に大きいですよね。自分で選択しない半強制的に見せられるCMの影響ってけっこうあるのかも、と今思いました。
私がこのサントリーウィスキーのCMの残像によってその後なぜだか惹かれて、覗いてみたと思われる世界。
天井桟敷、寺山修二、ガロ、ゲイやニューハーフのアングラ世界の人達。彼らの芸術嗜好。天使のメイクの残像によってYMOや忌野清志郎の音楽。白と黒のコントラストによってジャンポールゴルチエの洋服。詩。写真。画。文学。などなど。

・・本当かよ?
   え〜と、嘘かも・・。
Posted by そら at 2007年07月30日 16:09
■そらさま
 80年代って言うのは寺山を下敷きにしてるんじゃないですかね。適当に言いますけど、寺山からおにゃんこへ、っていうのが80年代のような。
 僕は高校か大学の頃、寺山修司を読んで「うわーつまんねー」と思ったんですが、なんでつまらないのかというと、もうその頃には寺山的価値観って「当たり前」になってたんですよ。偉大すぎると、その考え方が世の中で当たり前になっちゃって、つまらなくなる。
 と、いうようなことを思い出しました。
Posted by LSTY at 2007年07月31日 16:25
あーなるほど。私79年生まれなんですけど、丁度90年代の頃ちょうど十代で、ルーズソックス、ポケベルからPHS、小室哲哉、女子高生世代ど真ん中なんですね。んで、どーも馴染めなかった私は、80年代の残香を感じながら写真を撮ったり古着を着たり手紙をだしたり何か書いてみたりニューハーフのお姉さんと友達になれて喜んだり野外のロックフェスに参加して騒いだり三島由紀夫にかぶれたりしてたわけなんだ。
感性が鈍かったのかもしれないけど、楽しかったからまぁいいや(笑)
Posted by そら at 2007年07月31日 19:47
■そらさま
 サブカルチャー好きっていうのは、自分より5年とか10年上の世代に憧れるような気がします。気のせいかも知れませんが。
Posted by LSTY at 2007年08月02日 17:05
どき。
私の夫、10歳以上上です。すごいっすね〜 LSTYさん。どんぴしゃです。単純思考回路欠落した私の感性に響いたのです。
阿久悠さんが亡くなりましたね。
前に「花を飾る花瓶もないし♪」って歌わせてもらったけれど、
「絵もない花もない歌もない飾る言葉も洒落もないそんな居酒屋で、ウララウララウラウラのこの世は私のためにある。(ところが!)地球の男に飽きたところよ!(最後は!)透明人間あらわるあらわるウソを言っては困ります現れないのが透明人間です消えますよ消えますよ消えます消えます」
なんて歌われた日には平成セブンも盗んだバイクで走り出したい気分になることでしょう。

追伸
コメントへのお返事、有難うございます。知識が浅くて、評論とか出来なくて申し訳ないです。「言葉」といえば、絵本ってけっこう凄いですよね絵と言葉で子どもゲラゲラ笑わせたり、エッツの「私と遊んで」なんて悟りを開かずにはいられない逸品です♪
Posted by そら at 2007年08月03日 02:28
■そらさん
 絵本というのは言語というより人格形成に影響を与えるような気がします。僕は「泣いた青鬼」でしたっけ?赤鬼だったか、あの話が「わからなかった」クチです。
Posted by LSTY at 2007年08月08日 09:39
自分で自分のコメント読んでみてさっぱり意味が分かりません。ごめんなさい LSTYさん。
絵本は大人になってから読み、すごいなーと思いました。それにしてもあーあです。あーあ。あああ。ふぃ。ふにゃにゃ。です。自分が嫌になるのです。はぁ。
Posted by そら at 2007年08月12日 16:13
LSTY さん、「おいしい生活」によって具体的にどんな風に変わったのですか?
Posted by そら at 2007年08月15日 00:02
ブログ始めました。お暇なとき、もしよろしければのぞいてください。
Posted by そら at 2007年08月16日 04:21
■そらさま
>「おいしい生活」によって具体的にどんな風に変わったのですか?

 文法的に正しくない修飾が、日常的に使われるようになったきっかけが、これなんじゃないかと思います。結局80年代というのは高度成長期が終わって、物はもう飽和してるから、なんか他の付加価値はないかという、そういう流れの中でコピーライターというバブリーな職業が注目されたんだろうなあ、とか思いました。
 すべて思いつきですが。
Posted by LSTY at 2007年08月17日 11:07
糸井重里って鼻の穴が北島三郎ですよね。うん、不思議。大好き。

山口小夜子が亡くなりましたね。ユマ・サーマンと同じくらい格好良かったな。

私がたった今よく分からない文法だけど凄いと思った言葉。
「静さ(本当は門構えのしずかですけど)や岩に染み入る蝉の声」と
「美徳のよろめき」
です。
Posted by そら at 2007年08月23日 11:32
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