ブログの場合、長続きがベストというわけでもないかもしれません。ブログにとって「今続いている」というのは、良いか悪いかではなくて「前提」だと思います。今続いていないブログ、というのは、まず読まれない物だと思って良い。今続いているブログでも、過去記事というのはほとんど読まれない。そういうものです。
ブログというのはそういうメディアだと思います。
雑誌と同じですよ。どんなに評判の良い雑誌でも、今、現時点で発行されてなければ読まれない。古本屋で探してまで読むような人間はほんの一握り。
当然、読まれる機会が多い物こそ良質である、とは限らないわけですが。
僕がいいたいのはつまり、書きたいことがなくなったということはその人にとってそのブログの存在意義が終わったということであるかもしれないということです。自分にとって終わったブログがその後読まれるかどうかということは、その人個人にとってはそれほど重要なことではないかもしれません。
仕事や学問と違って、ブログは基本的に人生にとってそれほど重要なものではないと思うし、だからこそ打ち上げ花火みたいに刹那的に、一過性のもので終わってしまってもそれはそれで構わないんじゃないかと。なので敢えて「ブログの場合」と断りを入れました。
その辺、「力があるのにすぐに終わってしまってもったいない」と思う読者の心理と書き手の心理とはまた別物であるように思うのです。
なるほど。面白いですね。僕にとってブログを書くのは習慣化しているので、そういう考え方は新鮮です。
僕が考えていたのは少し違って、hashigotanさんが書いていたように「アクセス数の激減に耐えられなくなって」というか「ブログにしょうもないことを書くことが耐えられなくて」ブログをたたむ人が多いのではないか、という事でした。
それは考え過ぎなんでしょうかね。
ずっと細々と書いてきた人があるときをきっかけに急にブレイクしちゃったような場合と、開設当初からブレイクした場合と。
後者の場合、短期間にワッと人を集めることを目的としてブログを開設して、人が来なくなったらぱったりやめてしまうという人も多そうだな、というのが僕の頭にあったイメージです。
逆に前者の場合、同じような傾向の記事を書いてもてはやされているうちはよかったけれど、ネタが尽きて話題を元へ戻したらアクセスが急減したなんていう場合、モチベーションが下がって閉鎖したくなるという心理は十分ありそうです。
って、コレ、まんまうちのブログのことなんですけどね。ブログ関係の記事をあまり書かなくなってからアクセスが急減して一時は閉鎖も頭を過ぎったんですが、それでも僕が閉鎖しないで細々と続けていられるのは、どちらかというとたくさんの人に読まれることよりも自分が何かを書きたいということの比重が大きいからだと思うんです。
読まれることよりも書くことを重視するってことはそれなりに書きたいことを持っていないと難しいと思うので、僕はやっぱり「伝えたいこともないのにブログを書くなよ」というlstyさんの最初の意見のほうに賛成しますね。
hashigotanさんの元記事を読んで気付いたのが、人によって「耐えられるアクセス数の幅」というのがあるんじゃないか、ということです。
いきなり注目された人って言うのは1日3桁以上のアクセスに慣れてしまって、2桁1桁に耐えられないのではないか、とか。
逆に、細々とブログをやってきていきなり何かの拍子に大量アクセスが来た場合もストレスになるんじゃないか、とか。
僕の場合、ブログを始めた当初は1桁で、2〜5桁くらいまで順を追って経験してるので、別にもうどうでも良いんですよ。極端な話、1桁になっても書きたいことがあれば書くのだろうと思う。
そういう、「段階を踏むことによる耐性」というのはあるのではないかと思いました。