という屁理屈を思いつく。
しかしこれはあながちいい加減な意見でもないわけで、つまり、記録媒体と検索技術の進化というのは「忘却の促進」につながっていると思うのです。IT化が進んだ今、人間が接する情報のほとんどは、その後も「手を伸ばせば届く範囲」にとどまる。だから、人間自身が記憶しておく必要はない。記録してあるという安心感から、記憶しようという意志も生まれなくなる。
人間というのは、脳味噌の引き出しに知識を溜めておいて、それを組み合わせることによって何かを生み出すような存在なのだと思う。でも、もう溜めておく必要はない。手を伸ばせば情報はそこにあるのだから。
でも、脳味噌にたまった情報と、脳外にある情報ではそれは全く違う。脳味噌にある情報同志は、ある偶然からつながったりする。それが人間の持つなんというか、創造力とも違う、つまり生き物故の揺らぎというかバグというか、そういう面白さなのではないかと思う。
でも、脳外の情報というのは必然性からしかつながらない。原則的には「あれとこれをつなげよう」という明確な意志がなければつながらない物だ。
そこから、偶然の発見を生み出そうというのはとても難しいことなのではないか。
百鬼園先生言行録―内田百間集成

この本に収められている「忘却」は、忘れることに関する興味深い考察。
・参考:Google、はてなの後、人間の脳に求められるものとは?
ここに書いた「情報の創出」というのは、やっぱり「脳内に溜まった情報」がなければ難しいように思うのだ。