ekken 『ネットで揉め事が起きた時に、その人を好きか嫌いかで意見の価値を判断する人がいるけれど、あれアホくさいよねー(後略)全くそうですね。例えば最終的に「あなたのことが嫌いだから受容できない」のであれば、最初から議論などするべきではない。いや、文句を言うのは勝手なんだけど、それは文句であって議論ではない。
僕は「文句を言うこと」を否定しない。僕自身もしょっちゅう文句を言っている。そういうのについては、僕は「相手が受容してくれること」を特に期待していない。一方通行の物だと思っているから。
議論というのは「相手が受容してくれること」を期待して、それを求めてゆく物だと思う。その代わりに、自分自身にも「相手の意見を受容する余地」がなければいけない。それが最終的に「あなたのことが嫌いだから受容できない」になるんだったら、そんなものは議論ではない。
で、好き嫌いの話なんだけど、僕にも好き嫌いがあって、「どうしても読めないブログのパターン」というのがあるのです。どんなに良いことが書いてあっても生理的に読めないブログ。そういうのって損だなあ、と思ったりもしますが。
例えばタイトルが「チェシャ猫のひとりごと」とか、まあメルヒェン入ってる感じの所。その他にも、言葉の選び方の微妙な部分が気になって読めない所とかもある。2ちゃん語とか「w」が多用されてる所もそうだし、逆に妙にかしこまった文章とか。「〜殿」とか「考察してみる」とか、なんだろう、言葉の好き嫌いの問題。そういうのが引っかかると、もう読めないんですよ。
ダメなんですよ、嫌いというより苦手なの。全身かゆくなるような。そんなことを言うと「他人の不幸は蜜の味」だって一部の人にとっては十分「生理的にダメなタイトル」かもしれないし、僕の文体が気持ち悪いという人もいると思うんだけど。
そういう好き嫌いって治らないものですね、なかなか。損ですよね。良い事書いてるんだけど、ここ読めないなあ、とか思う時、損だなあ、と思う。でも仕方ない事だと思ってあきらめてます。