今までは「一惣菜」に過ぎなかったほうれん草をメインに据えてみると、ああ、ほうれん草というのはこういう味だったのか、なんていうことを思う。物質的に貧しい生活をした方が、実際そこにある物一つ一つに目が行く。
考えてみれば北大路魯山人が生まれながらの金持ちだったら、美食家として大成しなかったのではないか。貧乏でなければ、ああいう、素材一つ一つに心を砕くような発想は生まれないんじゃないかと思う。
そしてさらに、今月は諸般の事情によりお金がない。少ないお金で、いかに食っていくか。そんな制約も出てきた。
今日の食事はどうしようか、と考える。鶏肉が冷凍してある。嫁がくれた巨大マカロニがある。それを使えば食材を買わなくても良い。鶏肉を焼いて、マカロニを添えるというのが簡単だけれど、それでは味気なかろう。マカロニであれば、クリームソ−スにしたい。牛乳はないし、脂肪も高いので家にある豆乳で代用しよう。しかし、やはりクリームソースなら動物系脂肪が少しは入った方が良い。パルメザンチーズが家にあるから、それをかければいいか。
などと、冷蔵庫の状況、財布の状況、体脂肪の状況をすべて考えながら献立を練るのは意外と楽しい。