と、冗談はそのくらいにして。
・はてなブックマーク - livedoor ニュース - 死にたいと思ったあなたへ、自殺3万人の時代に告ぐ
すごい不評でありまして、あたりまえです。それはこの人が「私は宗教に救われました!死にたいと思ってる人は僕の宗教においでよ、なんとかしてあげるぜ!」という立ち位置にいるからなんじゃないかな、と。
死にたいと思ってる人は、なんとかして欲しいとか、救って欲しいとか、そんなことを思っていないでしょう。そんなことも思えないほどになってしまったから、だから「死にたい」のだと思う。
死にたいという気持ちは飽くまでも個人的な物で、誰にでもこれが効きますよ!なんて特効薬はないし。
じゃあどうすればいいか。
まずね、本屋かコンビニで「ザ・テレビジョン」を買ってきなさい。で、一週間の番組表を見てね、何か見たい番組があったらOKです。そこに赤丸を付けてですね、その番組を見る。
それが今日の夜の番組なら、今日の夜までは生きておく。明日の番組なら、明日まで生きておく。テレビじゃなくても良いんです、例えばAmazonで商品を注文して、それが届くまで生きておく、一週間後に友達と会う約束をしてレストランを予約しておく、週末にザリガニを捕りに行く。なんでもいいから何日かあとに、ちょっと楽しみな予定を入れておく。すごく楽しみじゃなくて良いんです。ちょっと楽しいこと。
そういうことを積み重ねてゆくしかないのではないかと僕は思う。少なくとも僕は、そういうことを繰り返すうちになんとなく生きてきたクチだ。
僕が今生きているのは多分、死にたいと思っていた時に嫁が送ってくれたメールのお蔭だ。そのメールには「今日のドリフ、録画しておいたよ」という物だった。
そのおかげで今、生きています。
入院すると、死ぬのは非常に難しくなるので。
病院だけじゃなく、ホテルも死ににくいんですよ、すごく。うまいこと考えてあるなあ、と感心したものです。
思っていますよ。
思っているとも思うけど、LSTY氏の「ザ・テレビジョン」説にも同意。そうやって生きている人は多いと思う。
■Yuriさん
こういう事を言うべきじゃないのかも知れないけれど、僕は基本的に冷たい人間なので、ここに初めてコメントしてくれる人が救いを求めていても、それについて手をさしのべられないし、「深淵を見ないと駄目だよ」と言われても、それについて真剣に考えてみようとは思えないのです。
文中にも書いたけれど、死、特に自殺というのはとても個人的な物なので、どこの誰か全く分からない人が悩んでいても、僕は言葉をかけられない。
じゃあこういう記事書くなよ、と言われるかも知れないけどね。
あと、死ぬというのは覚悟じゃないと思いますよ。死ぬのにパワーはいるけれど、覚悟は要らないと思う。これも人や境遇によるけれど。
スパッと斬れているので不満はありません。同意。
「これら(死や自殺)を語れない人でありたくないが、生を選ぶ自分(達)を称揚したい」
救いを求めるとしても、この手を差し伸べられたらひっぱたくと思います。
いや、あんたの方がよっぽど無責任だと思うが。
■matsuさん
本文にも書きましたけど、死はとても個人的なものですからね。自分が「違う」と思っている人から差し伸べられた手は邪魔でしかないというのはあると思います。
皆さんの苦悩は私には関係のない話ですが、幸せを見つけて、生きていてほしいです。
関係のない話、と書くと冷たいようですが、まずそれを認めてしまわないとまともな励ましとかアドバイスは出来ないようにも思います。
>死にたいと思わない人は、そう思う人を軽蔑しがちだとは思う。
いわゆる「普通の人」が自殺について語る時、その出発点は「自殺=悪いこと」という前提である場合がほとんどです。なので「自殺するのは、本人が弱い人間だから」といった結論に至ることが多いんじゃないかと思います。
しかしそれは考え方がおかしい。
例えば盗みは悪いことですが、窃盗犯が犯行に及んだ本質的な理由というのは「本人が悪い人間だから」ではないでしょう。経済的な理由や、それ以外の本質的な要因というのがあるわけでしょう。
それを抜きにして「自殺はいかんからいかん」という話をしても、なんにもならないように思います。
結果的には「良い経験」に成った。
自殺予告のメール&電話で、「本当は救いを求めて居る場合」と「死ぬ事だけが最後に残された幸福な場合」の違いが解る様に成った事だ。
前者は迷わず精神科に連れて行くが、後者には何も言えない。言っては成らない気がするからだ。
何も言わなきゃあ死んでしまうのなら、言った方が良いとは思います。何かかけるべき言葉を持っているか否かはまた別の話ですが。
ただ「みんな辛いけど生きている」という言葉はあまりに無意味だし、「生きていればいいことがあるよ」というのも頭が悪い言葉ですね。
言うべきことは「生きていればいいことがある」であり、「みんな辛いけど生きている」だと思うんです。しかしただそう言えば良いというものではない。
本当に相手に生きて欲しいと思うのなら、やっぱりそこの言葉、本当に効力を発揮するような言葉をちゃんと探さなきゃいけない、という風に思います。
本人が望むのなら好きにすれば良い。
少なくとも私は死にたい時に自分の手で死ねる準備をしている。
人間いずれ死ぬと言う事を突き詰めて考えた結論がこれなのだから、誰からも文句を言われる筋合いは無い。
元より生きる権利はあっても義務は無いはず。
自殺を否定したいなら、徹底的に延命を望めば良い。
どんな苦痛にも耐えられる自信があるなら。
何百ページもある「知ったか啓発本」を圧倒的に凌ぐこの十数行に感服いたしました!
楽しみとか楽しいとかを塗り潰して、全てがどうでも良くなる
視界がゼロになる事なんだ
救いがあるのは
死にたいほど辛い人間だけだよ
死にたい人間には、救いなんて無いんだよ