2006年06月08日

私は如何にして心配するのを止めて餃子を愛するようになったか

 友人が餃子について日記を書いていて、餃子を食べたくなる。
 しかし大いに問題があって、餃子は高カロリーである。
 さらに、ビールも飲まずに餃子を食べるというのは不愉快である。ビールは我慢するとして、餃子を食べたいという欲求とカロリーの問題を同時に解決できないかと考える。

 低カロリーな餃子を、自分で作ればいいのだ、結局。
 挽肉は、鶏肉の物を使うのが良いだろうと思う。例えばツナ、という選択肢もあるけれど、それではあまりに餃子の雰囲気が出ない。
 鶏肉にしても、やはりさっぱりしすぎているだろうし、その脂には豚肉の脂のような味わいがない。そこをどう解決するか。

 そもそも、僕はなぜ餃子を食べたいのか。僕は餃子に何を求めているのだろうか。
 例えばカレーに僕が求めるのは辛さとスパイスの香りであり、オムレツであれば卵の半熟部分であり、それぞれの料理に求める本質的な部分、自分が「最も価値を感じる部分」がある。
 餃子の場合、それは何か。

 多分、臭みなのだろうと思う。大蒜の臭みと、豚肉の臭み。噛んだ時にしみ出る脂の臭み、大蒜の風味、これが餃子の本質だと思えてきた。だから僕は蝦餃子とかフカヒレ餃子とか、ああいう類の餃子をあまり好まない。おいしいのだけれど、そこに僕なりの「餃子の本質」を感じないからなのだ。

 しかし、であるならば鶏肉のミンチで餃子を作る、という計画は頓挫する。鶏肉に豚の脂の旨味を添加する、というのは無理だろうから。
 当初は、鶏肉に、魚介か何かのスープをまぜて旨味を足すという方法を考えていたのだけれど、それではダメだ。餃子には豚の旨味が必要だ。
 たとえば、豚のヒレ肉をみじん切りにして、オリーブオイルに漬け込んでおく、というのはどうだろうか。それも一つの手だと思う。
 あるいは、豚の骨から出たスープを使う、というのは?とんこつスープというのは意外と低カロリーだったような気がする。

 と、ここまで考えて思い出した。うちの冷凍庫には昔煮出したとんこつスープが眠っている。煮込みすぎて茶色く焦げ色が付いているが、味は良い。これを使えばいいのだ。
 これを一旦解凍し、ゼラチンを加えて固める。それをみじん切りにして、鶏肉のミンチに加える。それをベースに餃子を作ろうと思う。明日の夜、とんこつゼリーを仕込んでおいて、土曜の昼にでも料理しよう。

 以上、餃子に対する愛情から延々考えた思考のログ。
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