こうやって「正しさ」をふりかざしてるのきらい。僕は誰にも「だからリファラなんて読むな!」なんて言ってない、「リファーラーの方が本来の発音に近いんじゃないの?」と書いただけなのに、それが正しさを「振りかざす」って事になるのかね。
ではこの後のSatoshi Tanabeさんの「じゃあまず 'referrer' と正しいつづりで書こうね。」という一言だって「正しさを振りかざしてる」って事じゃないのかね。で、まあこの記事に対する正直な感想はこれだ。
(※rが重なるよ、という指摘についてはfinalventさんからも頂き、参考になりました。ありがとうございます)
山口瞳が著書の中で「正しいことを知るというのと、正しいことを常に実行するというのは違う。正しいことを常に実行するのはむしろイヤミである」という趣旨の文章を書いていたと思う。
それは全くその通りで、間違ったことをしている人に対して「こっちの方が正しいんだよ」と言うなんていうのは、実はかなり嫌味な行為だと思う。
常に正しくあれ、とは僕は思わない。しかし、「こっちの方が正しいんだよ」と言われた時に開き直るような惨めな人間にはなりたくない。
で、ついでなので僕が「イヤミだなあ」と思いながらも「なるほどなあ」と思いつつ読み、そして実際に勉強になった本を三冊挙げておきます。
礼儀作法入門![]() | ヨーロッパ退屈日記![]() | 魯山人味道![]() |
「コメントがカメントか?」と立ち止まって悩む人は居ないでしょうし。そんな揚げ足取りは、イヤミにすら成らないと思います。
僕も書くとしたら、同じようになるのでカメントしています、ってlstyさんも大変ですね。僕はlstyさんのなんでもない記事が好きです。だからあんた、、、の方が好きなんです。いい感じなんですよね、ユルさが。
refererは「web語(web特有のつづり)」、というのが面白かったです。webというメディアの面白さを感じた。ハンドルネームの読み方にも通ずる物がありますが、使っている人それぞれは読み方を意識しているけれども、統一した物はない。そしてそれで済んでゆく。
僕は一度referを辞書で調べて、「だったらリファーラーだよな」と思うと同時に「なんでみんな辞書を調べないんだろう」と思ったんですよ。僕だって始終辞書を調べてるわけじゃないけど。
でも、まあ、そんなの調べないのが普通といえばそうなのです。辞書を調べるのが普通であれば「シュミレーション」なんて言葉を使う人間はもっと少ないはず。
人間誰しも自分なりのこだわりを持っていて、その程度と方向性が違うだけの問題なんですよ。自分がこだわりを持っていない分野に、他人がこだわっているのを見ると「こいつは神経質だ」とか「イヤミだ」と思ってしまう。
例えば僕は「カフェでランチ」とか「スイーツ」とか言う人間は馬鹿だと思ってるんですけど、そういうことです。って違うか?
変わる前の自分に似てる雰囲気を持った人に絡むんじゃないかなあとか思いますね。
物事だけにこだわるならそれだけについて関わりあえばいいだけですから。
ただみうらじゅんさんのジラシープレイはジェラシープレイの間違いでは?うんぬんかんぬんと言うような話に思えたので、カメントしてみただけなんですけれども。なんか違ってたみたいでしたね。あちらは続編があるようですから。
読ませる側も大変だなと最近は思います。
基本的に不快な情報の方が、人生に影響を与えやすいので有用だと思います。ただ、自分が想定する範囲内で不快な情報というのは意味がないですけどね。