2006年06月02日

悲劇はラジオスターだけに起きたわけじゃない。

ちびっこ広告図案帳―1965‐1969
ちびっこ広告図案帳―ad for KIDS:1965‐1969


 以前、たけくまメモで紹介されていた「ちびっこ広告図案帳」を購入。
 予想以上の感動、かっこよさ。色合い、風合いも完璧ではないが素晴らしい。
 すべてが「過去」であるのに、なんでここまでわくわくするんだろうか?
 それに対して、なんで今の広告に、僕はわくわくしないのだろうか?

 かつて広告は、そのままに広告だった。チラシの延長線上にあった広告。
 今の広告は「ミュージックビデオ」の延長線上にある。メッセージも夢も抽象化され、こじゃれた映像になる。僕はそこにわくわくを感じない。
この記事へのコメント
今より情報の少なかった時代は広告でさえも情報のひとつで
人は広告というわかりやすい形でも見てくれた。
しかし、情報があふれ、広告があふれた今となっては
いかに広告らしくみせないことでしか
広告を打てなくなってきたということなのかな、なんて思いました。
Posted by 涼子 at 2006年06月04日 00:54
■涼子さま
 そういうのもあるでしょうね。僕が子供の頃って「ビデオ」って珍しくて、視聴覚室でビデオの授業があると、それだけで楽しかった。つまらない教育ビデオでも喜んで見ていたけど、次第にそういう感動はなくなった。メディアその物が飽きられていく過程で、コンテンツが変化していったというのはあるでしょうね。

 あと、思ったのが戦後から1980年代くらいまでって「『欲しいけれど手に入らない物』が見えていた時代」なんですよね。それは進駐軍のチョコレートだったり、トレンディードラマに出てくるマンションだったりしたんだろうけど、「夢」というのが見えていて、かつ自分と夢の間にははっきりと壁があった。
 今は夢って、見えてなかったり、あるいは壁がなかったりでしょう、そういう世の中では広告ってどうしても貧相な物になってしまうと思う。
 あ、あと「子供向け広告」ってのも大きいか。子供にとって、多くの物は『欲しいけれど手に入らない物』なんですよね、そういえば。
Posted by LSTY at 2006年06月05日 09:52
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