先日、レッテル貼りについて書いたのだけれど。で、人にレッテル貼るのは好きだけど、自分に貼られるのはいやだよね、という話でした。自分勝手だよね、という。
でも、自分勝手だろうが自分へのレッテル貼りは拒むべきだろうと思う。結果的に貼られることはある。でも、拒否するべきだと思う。他人にはレッテルを貼っても、自分へのレッテル貼りは拒否する、矛盾していようが、それを貫くべきだと感じたのです。
なんでかというとですね「ネタ」とか「釣り」とか「プロレス」とかね、ああいう、自分が今やってる行為に対してレッテルを貼りたがる人がいる。あれが腹立たしいのです。自分の行為にレッテルを貼ることで、その着地点をなんとなく決め、適当な落としどころに落とそうとする感覚、自分の言動を規定してしまうような行為、ああいうものが腹立たしい。「いやー、これはネタですから」、「釣りですよー、エヘヘ」
なんだよそれ。
「自己を客観視」するこざかしさ。それによって予測される未来を作ってしまうつまらなさ。自分の行動、言葉の先には無限の可能性があるのだという、その未来を侮辱するような。
自分は複雑な人間だ、というのは傲慢です。しかし、自己を卑下して、自分を「自分のキャラ」に押し込めてしまうよりは良い。
2006年05月30日
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自らに貼るレッテルの破綻としての揉め事
Excerpt: 一部で揉め事が好きすぎるとの評判を取る僕が書くのも何なのですが。
Weblog: 日々是自己主張
Tracked: 2006-05-31 19:33
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>自分の行為にレッテルを貼ることで、その着地点をなんとなく決め、適当な落としどころに落とそうとする感覚、自分の言動を規定してしまうような行為、ああいうものが腹立たしい。
自分の行為にレッテルを貼るっていうのは、逃げの姿勢ということもできますけど、揉め事の解決術・回避術でもあるのかなと思います。
実質的に自分の意見を変えないまま、揉め事を収束させてしまうには、ネタだ釣りだと相手を煙に巻いてしまうのが一番手っ取り早いような気がします。
人がわっと集まってきてしかも揉め事になりにくいというのは一石二鳥、ということなのかもしれません。
考え方とか生き方の問題なのかな、とも思うんですけどね。一話完結型のブログ運営というのか、短いスパンで話題を終わらせるような考えなら、それで良いと思うんですよ。
でも、僕の中では違う。そんなことしてても楽しくないと思うんですよね、価値観の違いだろうけど。僕が最近「弁償するとき目が光る」というブログに感心するのは、自己矛盾とかすごいじゃないですか、あそこに書かれてること、でもそれを含めて自分だっていう力を感じるんですよね。論理的整合性なんて意味あるのか?そんなことで人生細切れにして楽しいのか?というような。
はてなブックマークやってると、そういう細切れ感、一つ一つ「処理」して終わらせてるむなしさってあるんです。今日他の所にコメントしたんだけど、今の人って「情報」にはたくさん触れてるけど、「物語」に飢えてるんじゃないかと。情報をつなげて、自分にとって意味のある物にすることが苦手なんじゃないかとか。