多くの人はこの記事から「書き続ける事=継続が大切だ」という事を読み取ったみたいだけど、僕は全然違いました。
僕が感じたのは「ブログとか関係なく、生活を楽しもうよ」というメッセージ。Kenさんの意図とはちょっと違うかも知れないけど。僕は究極的には「書く事になんか意味はない」と思ってます。書く事よりも感じる事の方がずっと大事だろう、と。
生活を楽しんでいない人の書くブログはつまらない。楽しくない生活を無理矢理「ネタ化」しているブログは痛々しい。
ブログって自分の生活の一部、と言うか一コマに過ぎない。それに気を取られすぎて生活が楽しめなくなっている人も多分たくさんにて、そんなのは「写真を撮る事を気にしすぎて景色をよく見てない人」みたいなもんだ。
記録・ログを残したいという気持ちからブログって書き始める物なのかな。でも。生活が記録を前提としたものになると、なにかつまらないような気がする。
生活を楽しむこと、日常の中にさまざまなものを感じ取ることは、大切ですね。
楽しんでいることがらについて書いている人の文章は、読んでいて面白いと思います。
自分が好きだと思うことを書くのが、一番なのかもしれません。
「生活の記録を残す」=「生活が記録を前提としたものになる」ではないのでは?外食したことを記事にする人だって、ブログに書くために外食したわけではないでしょう。そこ、ちょっと極端だと思います。
同じ意味で写真を撮ることを気にしすぎて景色を良く見ていない人も記録するために生活する人も、あまりに何も考えられない人が対象の話なのでしょうか。
歩くといろんな事を考えたり、気付いたりするんです。多分、日常生活でよく歩くブロガーは良い記事を書いてるんじゃないか、と勝手に仮説を立ててみる。
>自分が好きだと思うことを書くのが、一番なのかもしれません。
これについては同意しかねる部分があるんですよ。好きな事について書くとどうしても空回りしてしまう部分があるので。これはちょっと考えるべき課題だと思うんですが。
日々の記録って、本人が読み返した時に面白いんですよね。最近自分の可頃記事を読む機会が増えて、面白い物だと思っています。ただ、ある程度記事がたまらなければその面白さは分からないわけですが。
>「生活の記録を残す」=「生活が記録を前提としたものになる」
ではないですよ。そうなってしまっては面白くないよね、ということです。で実際そういう人って多いんじゃないかと感じています。「今日はネタがありません」とか「更新できなくてごめんなさい」とか書く人って、そうなんじゃないかなあ、と。
>ブログとテレビ番組のどこに共通点があるのかよくわからなかった。
何の事かと思ったらこれでしょうか(http://metalsty.seesaa.net/article/17929462.html)ブログとテレビと言うんじゃなくて「不特定多数から意見を受け付けるにあたっての姿勢」という意味で例に出しました。
お答えをいただきましたが、テレビとブログでは「不特定多数」というもの自体の意味が、実は違うのではないかなぁと思ったしだいです。
僕はあれです。lstyさんの本家の文章よりこっちの方が好きですね。ブログについての話は、なんだかあまり好きじゃないですけれども、それはたぶんlstyさんがあまり階段を下りすぎて、相撲をとってる雰囲気があるからだと思います。余計なお世話ですけれど、lstyさんが好きなものを追求し始めたらその手の記事がかなり少なくなると思えます。なぜかというと、結構どうでもいい感じが文章ににじみ出てることがおおいように思えるからです。
好きな事はねえ、いろいろあるんだけど、その快楽を人に伝えたい!とはあまり思わないのです。てめぇが好きで、その楽しみを味わいまくってるからそれで満足しちゃってて、ブログに書く事にまで頭が回らない。
ブログ論は、実際どうでも良いと思いながら書いてます。自分にとってはどれも当たり前の事だから。でも当たり前の事の多くは過去の経験から学んだ事、気付いた事だったりするので、それを書くのは意味のある事なのかなあ、という。
いつも魅力的な記事をありがとうございます。
「書く事よりも感じる事の方がずっと大事だろう、と。」という部分について。書くことによって感じられるようなところがあるのではないかと思いました。「書くこと」もまた生活を楽しむ手段かと。
考えてみると、実はそうなんですよね。一旦考えを書き出すのが重要な場合もあるし。結局は書くことと感じること、論理的思考と感覚とか、バランスなんですよ。どちらに偏ってもいけない。
最近ブログを読んでいると理路整然と書こうとするあまり、結局毒にも薬にもなっていないような文章が多いとか、そこら辺に僕はなんとなく不満を持っているのです。