養老猛司の文章って、無駄が多くて読みにくくないかい?
ブログばっかり読んでいて「軽薄短小」に慣れてしまったからだろうか?
でも、永井荷風先生とかは普通に気持ちよく読めるんだよなあ。
学者としての能力と、文章書きとしての能力、という物について少し前から考えています。
その二つは別に両立してなくても良い。でも、その場合、学者としての能力を読める形にする「翻訳者」みたいな人が欲しい。
「脳の見方」には興味があるので、もう少し読み進めます。
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