大事にしてる物を嫁に捨てられたら、その時は凹むだろうし怒るけど、別にその後は気にしないなあ。
「昔ああいうのを持っていたなあ」と思い出す事はあるだろうけど。
僕は物持ちの良い方だけど、そして物に対する執着心が強い方だと思っていたけど、実はそうでもないのだろうか?
捨てられようが燃やされようが、「かつて持っていた物」は「自分の一部」の様になっていて、物が無くても別に良い。
プッチの時計じゃないんだから。
それは、先日書いた「捨てることとか」に関係するのだろうか。思い出のある物を、敢えて捨てた思い出。それは確かに寂しい物だが、「捨てなければよかった」とは決して思わない。
物っていうのは、所詮過去なんだよね。未来に向かって、これから生きてゆくにあたって「絶対に必要な『物』」なんて、ほとんどないのではないかと思う。あったとしても、その多くは「形のない『物』」なんじゃあなかろうか。
僕は、自分の脳味噌と、本と、紙と鉛筆さえあれば楽しく生きてゆけるんじゃないか、と思うのです。
まあ、祖父の形見とか捨てられたらきれるじゃすまないでしょうけど。
物に対する愛着とは何なのか?という事を考えると面白いですね。人間特有だし。
多分、動物(猿とか)が道具を使ってゆく中での進化の過程はこんな感じ。
1.道具を使う(使い捨て)
↓
2.道具を保管し、繰り返し使う
↓
3.同じ道具を使う事で、使い慣れる
↓
4.道具に愛着を感じる
この3.から4.へっていうのはすごい飛躍です。この間には何があるのか?
なんなんでしょう。