やはりあの頃のように言葉を繰り出すだけの心が、今の僕にはなくて、じゃあ書かなければいいのだけれど、しかし、書くことが習慣になってしまっているので、何か書く。書くとアクセスがあり、反応がある。それが当たり前になっているのだけれど、それに僕はどんどんむしばまれる。
昨日の記事にしたって、内面の吐露を装って、しかし、その奥では、その記事に集まるであろうコメントやブックマーク、あるいは慈しみの言葉を想定している。昨日の記事は、明確に、ある一人の人からブックマークされるべく、それを狙って書いた物だったりする。
そういう風に「注目されている自分」を意識しながら生きるというのは、なにか自分らしくないような気がする。それが自分を縛る、ということではなく、自らがとても穢らしい、いやらしい人間になってゆくような感覚が嫌だ。
表現をする、表現を続けるというのは、別にかっこいいことでもなんでもなく、なにかこう、自分がどろどろと流れ出すようなもの。
ブログ論にかけるハングリー精神みたいなものを感じて、
凄いなぁ、と思ったのですが、
過去記事のブログ論でも、
今、そのまま記事として再利用しても問題無く通用するような
ブログ精神が沢山詰まっているように感じたので、、
結局、技術革新したとしても
根本的な基礎部分は変わらないんだなと思ってます
俺はネット依存症なのですが・・
記事を出しながら、人との繋がりに飢えている自分に気付くとき・・
この、「記事を書く」という行為は、
これは、もはや俺の生存問題になるんじゃないか、とさえ感じています。
生きる為に、書くんだ。みたいな。
だから、いやらしくて穢れた自分に気付いても、
それは、生きる為に今、俺は文字を打っているんだと感じています。
実はLSTYさんのブログ論は、
恋愛に対する考え方にも通じる部分があるように思えます・・
精神的な面でのあくなき探求があるから、
ブログ論に、恋愛にも通じるような魅力が加わってるようにも感じますし、
そうゆう所が、他のブログ言及系サイトには無い、
LSTYさんならではの魅力なんだと思います。
(何か知った風な口をきいてスミマセン・・orz
あと後の記事に関してのコメントになるんですが、もう読まないならブックマークすらしないと思います。ブックマークするという行為は、面倒なものだし。って思ってるのは私だけかもですが。
コメントしながら思うのは、
LSTYさんはこのコメントよみながら
「わかってるようるせーよ書くなよ」と思ってるんじゃないかなってことです。
だから書きにくいんですけど今日はムカムカしてるので書けました。勢いってやつです。インフォーマルだからこのくらいやってもいいと思ってます。失礼。
コメントに返信しないのは、逆にコメントくれる人たちの方が考えてるなあ、と感心したり申し訳なかったりするから、と、それゆえにコメント返す気力がないから。
大いに勘違いしていたような気がします。
勝手な「推測」の数々、申し訳ありませんでした。
僕は、ブログ上で、というわけでなく、なんか普通に悩んでいるのかも知れません。
大したことはないのですが、つまり深刻に落ち込んでいるのではないのですが、「今の俺はダメだ!」というのではなく「今の俺のように考えるその根っこがダメだ!」というような、メタな悩み方をしているので、そしてそういう経験は初めてなので、少し気持ちが悪いのです。
寒すぎて疲れているのかも知れません。