他人の役に立ったとしても、自分では分かっていることばかり書いているから、脳味噌をあまり使わない。はてなブックマークが隆盛を極めるほどに、コメントはつかなくなり、100文字以内のブックマークコメントには示唆に富んだものは少なく、それはつまり、既知の事柄からの世界の広がりを阻害している。
苦痛や違和感や、あるいは自尊心から、言葉を丁寧に読み、そこに自分の持たない価値観を見付け、それを評価する。
そういう機会が減っているのは確かだ。それは積極的な不快さを伴うものではないけれど、しかし、自分の時間、自分の思考、自分の人生がよどんでいる様な、そんな気分になる。
自分には、Web上に生きている価値がない。そのように思えてくる。
人は、もっと考えるべきだ。何について考えるべきなのかと言えば「絶対に答えの出ない問い」に対する答え、あるいは答えのようなものについて考えるべきだ。
そのように思う。断片断片で答えを出し、それを得意げに披露しているようでは、本当に生きている価値がなくなってゆくように思うのです。
いろいろと手にとって読んでみました。
見たこともない思考が載っていてびびりました。
まだまだ自分の知らない世界がいっぱいいっぱいあるんだなあと思いました。
そしたら少し元気が出ました。
大きな本屋で、自分の興味の赴くままに歩いていると、絶対インターネットでは見れない(というか見れるのかもしれないけど行かない)種類のものに出会うことがあります。おもしろかったです。
全然関係ないコメントかも。ただそういうことを思い出したので。
ともかく、書きたいことを書けばいいのにと思います。どうもブログ論かいてるlstyさんの文章、書きたくなさそうなんですよね。まさに「関心ないけど書いとくかログだし」的というか。
ああ、そうかつまらなそうですか。書きたくないというか、自分の中では結論が出ている場合が多いので、興味ないんですよね。
でも、世の中には「相手の視点に立つことができる人」って意外と少ない。つまり、ブログを書きながら「読み手の立場に立てる人」って多分、予想以上に少ないと思うのです。だから、書けば書いたで有用なんだろうなあ、と思って書いてるのです。
実際は、そんなにイヤイヤ書いてるわけではないんですけどね。
本ですね。ブログ書いてお金もらってる人は少ないわけで、やっぱり今のところブログより本の方が質が高いし、未知のものが沢山ある。