2006年02月07日

でも分からないことは受け入れられない

 この記事からの続き。(ここの続きでもある)

 僕は、女流作家の本を読まない。特に決めているわけではなくて、何故かそうなっている。多分持っているのは向田邦子だけだ。
 なんでだろう?と思うのだけれど、それは結局「分からない」からなのだと思う。女の考えていることは分からない。分からないから、読んでも仕方がない。
 それが文学だろう、と言われるのだろうけど。

 「共通認識のある人に、分からないことを言われる」のと「共通認識のない人に、分からないことを言われる」のは違う。
 前者の場合、「多分、僕にも分かるはずだ」と思って、分かろうと努力する。結論が出る出ないは別として、結論を出そうと思う。
 でも、後者の場合は「分かる気がしない」ので、考えることを放棄してしまう。
 ああ、そうですね「バカの壁」ですね。

 女の行動というものをわずかながら理解できるようになったのは内田春菊のおかげだと思うんだけど、それでも、行動や心理のパターンをいくつか知ったというだけで、その原理を理解するには至っていない。
 いや、別段理解したいとも思っていないのです。理解したら恋愛がつまらなくなりそうだし、何より、僕だって女のことばかり考えて人生を終えようとは思わないのだから。

 でも、なんか感じたのです。「本当に分からないもの」と僕の間の断絶を。

24000回の肘鉄:内田春菊
24000回の肘鉄
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