2006年02月06日

笙野頼子、文体と絵柄

 精神状態は文体に現れる。元気がない人の文章には、元気がない。

 昔、フジテレビの深夜番組で(たしか「文学と言ふこと」という番組)「文体は作品の本質だ」と言っていたけれど、僕はそうは思わない。
 文体は、漫画で言えば「絵柄」だと思う。ある物事を伝えるための手段であって、それは重要ではあるが本質ではない、と思う。
 絵柄が苦手で読めない漫画家というのがいる。でも、読んでみると面白かったりする。僕の場合、萩尾望都とか諸星大二郎とか。

 笙野頼子の「金比羅」を少し読んでみて、どうも読めない。あの文体がとても気に入らないのであった。ちなみに町田町蔵の文体も気に入らない。で、読めない。
 でも、「気にいらねえなあ」と思いながらも、その内容を否定する気にはならない。そういう時は、少し我慢して読まなければいけないと思う。
 そんなわけで、現在中断中。
この記事へのコメント
私も文体によって「読める/読めない」があります。
私は漱石がどうにも苦手です。鴎外は好きなのに。

文体には、書き手が対象を見る姿勢・語る姿勢が出ているような気がします。
言われてみると絵柄もそうですね。
人によって意外なところをはしょって描いていたりする。
Posted by ゆみぞう at 2006年02月06日 14:53
■ゆみぞうさん
 向田邦子はどうですか?
 あの人の文体は、女流作家としては奇異な感じがします。

 僕はもう最近、内田百間先生の文体が好きで好きで(笑)漱石門下ですけどね。
Posted by LSTY at 2006年02月06日 15:08
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