これがひどい。文珍に匹敵するひどさ。
米朝の真面目さに、枝雀の「随談風」を加えたという感じの話。
これがひとっつも面白くない。
あー「真面目に芸歴うん十年勤め上げれば、とりあえずNHKには出られますよ」という雰囲気。
刑務所か。
こんなものを「日本の話芸」なんて紹介されてはかなわん。こんなの録画してる暇あったら、松鶴、円生、志ん生、枝雀を再放送しろ。
下手な新録より、うまい故人だ。
つーか、テレビに下手な落語家を出してくれるなよ。若い人がみんな「あー、落語ってつまらないんだなあ」と思うじゃないか。
しかし、考えてみりゃ今、まともな落語家は少ないのでどうにもならんか。一週おきに小三治・志の輔・小三治・志の輔ってわけには、さすがに行かないもんな。
で、言いたいこととしては「千朝ってのは、何年やってるか知らんが、ゴミみたいな落語家ですね」ということです。いや、こういうのが好きな人もいるのかも知れん。「滑舌が良くて説明的でわかりやすい」というのは、まあ今の時代では一つの価値かも分からん。
しかし、少なくとも私にとってこの落語家はゴミです。時間の無駄。申し訳ないが。
だからこそ書き方に不満。
千朝師匠の会には、びっくりするくらい大勢のお客が集まる。
そこを理論的に、説明してくれぇ。
でないと、ただ個人の趣味を書いているだけで、
「そんなセンスのない奴に、ゴミと言われる覚えはない」
となってしまう。
私達がモヤモヤと思っていることを成文化して、すっきりさせて下さい。
客入るんですか。あんなので。
思うに「カルチャー教室に行くつもりで落語を聴きに行く年寄り」が多いということなんじゃないでしょうかね。
あとやっぱり、これは逆説的なんですけど、寄席に行っちゃダメというか、その場で直接落語を聞くことによって「その落語家に対する親近感」メインに落語家を評価してしまう人っていうのが多いと思います。
うまい下手じゃなくて「人柄がよさそう」とか、そういうのを主軸に落語家を評価する人というのは、これは思ったより多いのではないかと。
飽くまでも水商売ですから、人気の有無と上手下手は直結しない世界だと思いますよ。
芸能を殺すのはこういう意識なんだろうなあ、とか思った。
於: 東京 お江戸日本橋亭
東京で千朝落語を聴く会
胴乱幸助と 除夜の雪 です。
ん、まったくですね!
千朝にファンが居るとは、驚く
駆け出しになら応援が付いたと思っても良いが
NHKでの「抜け雀」は聞いていて腹が立つ
時間を無駄にした。
やはり落語は修業、場数だけではだめだ、才能だなあと感じる。喉の使い方にしても無理がある。
聞いていてつかれる。
一言で言えば「無理して、わざとやしい」
この落語家は一体何者だろう?と思って検索したら
このブログにたどり着きました。
いやあ、本当にひどい!滑舌が良いとは言っても
変にゆっくりした口調で気持ち悪いったらありゃしない。
生で落語を聞くのとTVで聞くのでは感じ方が違うのかなぁ。
まぁ人それぞれの意見ってものもあるけどあまり過激な言葉の表現って気持ち良くないですね。
はいはい了解です。
芸を見る目が無い人とお友達になるメリットは無いように思いますので、お互い、その方が良いでしょうな。
目の玉をぎょろっと向いて,口の形をはっきりと,発音練習みたいにして話すスタイルは,賛否のわかれるところですね。はっきり聞こえてわかりやすい反面,「AKB48」をゆっくり「エーケービーフォーティーエイト」とさも滑稽そうに演出して言われた日には,会場は笑っていましたが,可笑しいというより哀しくなりました。そこまでして「AKB48」に言及する意図が哀しい。
ただし,高齢者にとっては,「聞きとれる」という点でとても良いのではないかと推察します。物理的な音という点では十分でしょう。高齢者を慰問するにはうってつけ。若手中堅タレント役者芸人が,独りよがりで早口でしゃべっているのを見るにつけ,ハッキリ喋るのがいいなあと思います。
しかし長く聞いていて疲れる,というのは私も同じ印象です。それは異なる登場人物が同じ口の形であり同じ表情であり,それゆえ聞き手は,ことばの意味を追うだけに終始して,登場人物の情感に届くことができないもどかしさを感じるとでも言いましょうか。劇中の老人がハキハキしゃべる不自然さに,話に入っていけないのです。肩が凝る,とはそういうことかもしれません。
あの演出方法では,声色と声量の変化に乏しい,間(マ)が固定されておる(あるいは間が無い),といった,空間と時間の演出が単調になりがちなので,人物の区別がつきがたい,景色の広がりが感じられない,という印象があります。それらを補うように,ときおり突然と身振りが入る。人差し指を肩口の高さにあげて,人に向かって突き出す動作をよくなさいます。この動作で大店のご寮さんが目の前のひとを指差したときは驚きました。
と,いろいろ書きましたが,千朝さんは千朝さんのスタイルがあって,それは当人も十分承知の上でしょう。若手の「それしかできない」というのとは違って,取捨選択した結果と思います。すべてのスタイルは得失両面あるので,聞き手は聞き手で勝手に取捨選択すればよいでしょう。もちろんテレビ放映も,いろいろあってよいわけです。むしろ無料放送で演芸番組の総量が少ないことが残念。ダラダラしたバラエティやヒナ壇トークは演芸番組の勘定に入りません。
ありがとうございます!
丁寧なコメントありがとうございます。そうですね「老人ホーム慰問落語」というカテゴリの人なんだろうと思います。そういう意味では需要があるんでしょうね。
演目は「ながたん息子」
落語は本の朗読会とは違うと思います。
老若男女の演じ分けもできてない。
途中で見るのをやめて録画を消しました。
月亭方正のがマシなレベル。
今,話題の桂二葉とは大きな違いを感じる.