2008年06月17日

デスマスアルダと落語家の羽織

分け入つても分け入つても本の山 ですますであるだ
 敬体と常体の混在について。正直に言って、この例文は不自然だと思うのだけれど。

 僕もしょっちゅうこれを使う。ブログでしか使わないけど。「一般論としては幸だけど、ほんとはこうだよね」という切り替えなんかに敬体→常体を使うことが多い。修辞として使うというより、自然とそうなってしまう。

 僕の中で「敬体→常体」という崩れ方は、噺家が羽織を脱ぐのに似ている。あのタイミング、無造作な感じ。タイミングを誤っては不自然だし、無造作にやらないと嫌味だ。
 気にしすぎると窮屈だが、しかしまあそういうものだと思う。
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