2007年10月21日 muteit 音楽 単純にシーケンサーやサンプラーが良くて、初音ミクが駄目って理屈は通らないと思う。
理屈は通らないが、私自身は初音ミクが嫌いだ。
音声合成で歌を歌わせる、という考え方は嫌いではない、というか
僕もかつてやっている。 多分、あえてそれをアニメ声でやったという部分、音声合成ソフトはそれこそ10年以上前から音楽向けにリリースされていると思うけれど、その本格的な製品第一号がアニメ声だったというのが気にくわないのだと思う。
しかしまあ理屈ではないのだ。僕は宅録が好きだけれどDTMが嫌いだ。「同じじゃねえか」と言えば同じなのです。しかしいかにもDTM的な音楽、GM音源的だったり、いかにも「一台のシンセサイザーで作りました」という感じの音楽が大嫌いだ。
しかし「一台のサンプラーで作りました」とか「一台のカシオトーンで作りました」という音楽はわりと好き。
ここはもう理屈ではない。聴けば分かるのです。かつて電気グルーヴのメンバーが言っていた「スーパーの店内でかかってる曲」と評した、ああいう音楽、カラオケのバックトラック、ああいうものが大嫌いだ。
これは理屈じゃない、と思う。分かる人には分かると思うし、分からない人には分からない。
言うなれば許容範囲の違いであるし、不寛容だといわれればそうだけど、寛容とは言い換えれば無節操ということではないのか。
ついでにいうけれど僕は「フュージョン」という音楽ジャンルが嫌いで、カシオペアやTスクエアなんていうバンドも嫌いです。ジャズもファンクもディスコもテクノも好きだけど、フュージョンは嫌い。フュージョン嫌いとDTM嫌いというのはカブるように思う。
で、なんとなく思うのが初音ミクにまつわる論争というのは、本質的には初音ミク云々の問題ではない。大きいのは「おたく対アンチおたく」だろうけれど「人力音楽VS機械音楽」だったり「バンドサウンド対DTM」だったり「DTM対DTMじゃない機械音楽」だったり、結構たくさんの種類の価値観のぶつかり合いの、言わば代理戦争みたいなものだろうと思う。
なのであえて好き嫌いの紐をほどいてあーだこうだ言うべきなのです。
僕は初音ミクを嫌いますが、ああいう技術が手近なものになった、という点では評価はしています。音楽家の創造力を高めるものかどうかについては疑わしいが、技術的には大きな進歩だと思う。
もっと落ち着いた女性の声や、細野さんのような渋い声のものがリリースされたら買うかも知れません。