2007年08月29日

バイバイ

待ち合わせ時間で一喜一憂するのって
 他人の時間は俺の時間、みんな俺のことが大好き、とか思ってるドアホが書いたバカ丸出し文章を読みながら思った。
 待たされる人間は、時間が過ぎたら好きなところに行こう。

(携帯)ゴドー:今、モヤイ像の前についたけど…
(携帯)俺:え、今、紀伊国屋の落語コーナー。
(携帯)ゴドー:落語コーナー来たよ。
(携帯)俺:あー今ダイカンプラザにいるわ。
(携帯)ゴドー:ダイカンプラザ来たけど、何号室?
(携帯)俺:日比谷バーで飲んでるとこ。締めは何にする?パスタ?焼きそば?

 僕は、時間を守らない人間が大嫌いです。

2007年08月28日

イコライジングについて

eq.jpg
 お恥ずかしいことにここ1〜2年で気付いたんだけど、もっとも不愉快な音は「中低音」である。若い頃は中高音を嫌っていたけど、最も音楽を邪魔するのは中低音だ。
 安普請の家で音楽を楽しむ、小さな音量で。そんな時のEQはこんな感じ。低音はもう少し下げても良いかな。

 で、今日はDr. Buzzard's Original Savannah Bandで。

 しかし、iTunesのプリセットのEQって、アップルだけにセンス良いのかと思ったら全然ダメね。まあ日本のウサギ小屋、ウナギの寝床のことは考えてないからか。
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2007年08月27日

「失われた時を求めて」をまとめ買い!(悪ノリ)

 プルースト「失われた時を求めて」の文庫版全13冊(集英社文庫、鈴木道彦訳)をまとめ買いできるボタンを付けました。
 どうぞご利用ください。

 尚、私は読んだことがありませんし買う気も読む気もありません。

 というか、
↓これで良いのです(こっちは井上究一郎訳、ちくま文庫)
失われた時を求めて 全10巻セット
失われた時を求めて 全10巻セット

「カラマーゾフの兄弟」全5巻をまとめて買う

 最近ちまたで評判の「カラマーゾフの兄弟」新訳版を買いました。
 5巻組で、Amazonで買うのがとてもめんどくさかった。
 めんどくせーなー、と思って近所の本屋に行ってみたけど、光文社文庫、しかも「光文社古典新訳文庫」なんてものが、普通の本屋にあるわけがない。
 というわけでめんどくせーなー、とか思いながらAmazonでポチポチと注文したわけですが、そんなめんどくさがりの皆さんのために、まとめて買うボタンを付けましたので、まとめて買ってください。ワンクリックでカートにドカッと入ります。私にも、おぜぜがドカッと入ります。

 ここのサービスを使いました→Amazonでまとめて買うボタンを作るやつ

2007年08月24日

SNSでニュースサイトをやる目的

 リファラ見ていてたまに見付けるのが「mixi内でニュースサイトみたいなことをやっている所」からのアクセス。

 なんでmixiでやるのだろうか、なぜ敢えて狭いところでニュースサイトなんて物をやろうとするのかが分からない。
 で、そういう所からのアクセスって1日2−3件だろうか、あっても一桁。つまり全然見られていないわけです。そりゃそうだよなあ。
 まあ、mixi内でですね、mixiやSNSに関するニュースだけまとめて提供、とかいうのならわかるんだけど、普通のニュースサイトと同じようなことをやるってのは…

 まあ、mixiをwebと認識せずに使っている人というかポータルとして使っている人向けとすれば、全くわからないでもないけど。
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男と女の妥協

 シティボーイズのネタに「妥協兄弟」という、何事にも妥協する兄弟というのがあるんだけど、「妥協姉妹」ってなさそう。

 女は妥協しない。しかし女は「折り合いを付ける」ということはする。つまり、本当は納得していないんだけど、対面的にはなんとなく流されておこう、ということができる。

 対して、男は本当に妥協してしまう。まあ、いいかあ、と容認してしまう。
 男の妥協も女の妥協も表面上は同じに見えたりするが、女というのは本質的に、許せない物は絶対に許さない生き物なんじゃないかと思う。

 以上、思いつきのメモ。全然違うかも知れない。

金にならないこと、アクセスを稼がないこと。

2007/8/23|readymade by いとうせいこう
 これ読んで、あーそういえばジョージベンソンの「Breezin'」どこにやったっけ、とか思いつつ、でもなあ、メセナ活動なんて金にならないんだよなあ、とか考えた。
 そこそこの金額を使った「広報」っていうことで言えば、芸術系じゃなくてスポーツ振興の方が効率的なんですよ。人も集まる。スポーツ振興もメセナの一つだけれど、芸術・文化系とは確実に違う物だと僕は感じる。
 文化ってのは金にならないから企業も金を出さない。
 でもマーケティングって文化を作ってゆくことなんだよな、とも思う。

 で、これを読んでやっぱりなあ、と思った。
ノッフ! - そんなの嘘に決ってるじゃないですか
 ここに出ているイラ立ちみたいな物、最近のこの人の書く文章からにじみ出る憤りみたいなのも、結局「文化は金にならない」というものなんじゃないか、という。
 俺が本当に楽しいと思ってる物には誰も見向きもしない、なのに、俺がしょうむないと思ってる物はなんでこんなに注目されるんだ!
 とかいう気持ちの邪推

 僕はたしか2年くらい前にそういう事ですごく悩んでいたように思う。ブロガーと読者というのは全然違う価値観を持っている、という。僕のブログを読んでくれている人が、必ずしも「僕が面白いと思う物」を面白いと思うかというと、そんなことはない。当たり前のような、当たり前でないようなこと。

 だから多分、本当に素晴らしい言語芸術をつむげるような人は、ブログなんてやるべきではない。ブログというのは日々評価される。アクセス数だけによって評価されるのであれば問題ないが、コメントやトラックバックやブックマークで、非常にややこしく評価される。
 筒井康隆は「評論家の言うことなんて聞くな」てなことを書いていたが、ブログをやると、そうはいかない。

 周囲の評価によって「僕が面白いと思う物」がぶれてしまうのは、なんかもったいないように思う。
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2007年08月23日

千の風になって

 うちのトイレのウォシュレットには消臭機能があって、便座に座るとファンが回り出す。
 ファンの速度が上がってゆく音が「千の風になって」の「わたしのぉー」という音程と同じだ。
 ウンコのにおいが千の風になるのか。
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2007年08月22日

奈良で見かけた手話なギャル

 突然思い出した。
 先日奈良に行って見かけた光景。
 猿沢の池のほとりで、道べたに座っているギャルを見かけた。
 いかにも、なギャル。
 僕は普通のおじさん同様、ギャルには一定の偏見を持っているわけだ。
 しかし見ると彼女は一人ではない。彼女の目の前には、少し年下の男の子がいる。弟だろうか。
 彼に対して、彼女は手でいろいろな仕草を見せている。

 手話だ。

 ギャルと手話、この二つにつながりを感じなかった僕は、なんとなくそれを「いい話だなあ」と思った。しかし、「いい話だ」と思うことこそ、僕の偏見のなせる業なのだ。
 うーん、どうなんだろう。
 とか思ってしばらくして気がついた。あれ、彼女の手の動きは、手話にしてはずいぶん単純で、何かを伝えるような感じではなかった。
 あ、あれは手話なんかではなく、「パラパラの練習」だったのか、と。

車についてる時計

 たまに思うんだけど、なんで車についてる時計ってあんなに見にくいの?小さくてコントラストの弱いデジタル表示で、微妙な角度で付いている。あれはわざと見にくくしているのだろうか?

2007年08月20日

今週は口ロロ新譜発売

 生まれ変わったら、Microsoft Wordのない世界で暮らしたいなあ。
 なんだこのクソいまいましいゴミソフトは。
 生産性低下のために存在するとしか思えない。

 さて、最近Deee-Liteの「Infinity Within」を聴いているのだけれど、これがなかなか良い。発売から既に15年経っている音楽で、たしかに「その時の気分」な音楽なんだけれど、懐メロになっていないというか。前作の「World Clique」はさすがに懐メロな感じ。

 さて今週はクチロロの新譜発売。いとうせいこう参加。
 せいこうさんのラップを聴くのはヤン富田先生の「フォーエバー・ヤン」以来か。少し楽しみ。

 そういえば最近めっきりCDを買わなくなったけれど、ハルカリの「サイボーグ俺達」とかパフュームの「チョコレイト・ディスコ」とか、まあそれなりの自分的ポテンヒットがちょこちょことある。
 逆に「うわー、金をドブに捨てたー!」と思ったCDといえばスチャダラパーの「Con10po」くらいなものか。
他人の不幸は蜜の味: スチャダラパー「con10po」と、彼らの名盤

GOLDEN LOVE
GOLDEN LOVE
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2007年08月19日

奈良でMJ発見!

みうらじゅん

 ふらりと立ち寄った近鉄奈良駅前の商店街。
 喫茶店に我らがMJ=みうらじゅん発見!

2007年08月17日

今日、知ったこと。

タバスコはかけすぎると「辛い」というより「すっぱい」。
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2007年08月09日

半分ソース運動

 時間がない昼には、インスタントのカップ焼きそばを食べることが多いのだけれど、どうも味が濃い。
 今日試してみたら、付いているソース半分で十分足りることがわかった。僕が元々薄味好きなのと、マヨネーズをプラスするからと言うのもあるんだろうけど。
 色は薄いけど、味としては別に薄すぎず、問題ない。
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2007年08月08日

「東京人・三遊亭圓朝特集」を買った

東京人 2007年 09月号 [雑誌]
東京人 2007年 09月号 [雑誌]

 赤枕十庵さんのブログでその発売を知り、「東京人」の圓朝特集を購入。パラパラとめくって圓生師匠(6代目)に関する記述がほとんど無いのに憤慨する。今、圓朝作品の録音を聴こうと思ったらまず圓生師匠でしょう。最も重要な人物だと思うんだが。
 特集のメイン(冒頭)は歌丸と円楽。私の尺度で言えば、歌丸はまずくはないが特別にうまくもない噺家、円楽はまずい噺家であって、どうも釈然としない。
 しかし考えてみれば、志ん朝師匠も死んでしまってうまい落語家っていったい今、幾人いるんだろうか。
 権太楼なんかに圓朝について語らせてみたら、面白かったかも知れない。

 さて、圓朝という人についてですが、僕は深く知るわけではないが、この人は「落語の神様」なんていう文脈で語られるべきではない。落語という世界の中に囲っておいてはもったいないような作家だ。
 この人は、極めて近代的な感性を持って、近世的な枠組みの中で表現を行った人です。精神と科学についてずいぶん真面目に考えた人なんだろうと思う。
 たしか宮武外骨主催のオカルト研究会みたいなのにも入ってたんじゃなかったか?
 「真景累ヶ淵」の導入部だけ読んでも、明治期にこういう事を考えていた人がいたのか、と興味深い。

2007年08月06日

真面目に戦争を伝えろ、クズTV。

 なんとなく思うんだけど、僕も学校で原爆のことを何度も聞いたが、あれっていうのは「大人の偽善」と「子供の偽善」の調和でしかなかった。子供的にも「こんなに無惨に人が死んでるんだから、『核兵器はなくなった方が良いと思う』って書かにゃならんだろう」という。
 いま、小中学生に対してどういう風に戦争を教えてるのかは知らん。でも、あのままで良いとは思わない。というか、感情で動く層っていうのはあって、そういう人に対してはそういう説明で良かろうと思う。
 しかし、もっと理性的な判断をする人に対して、そんな感情だけの教え方ではいかん。それは、ある意味、教育の持つ可能性の放棄だとか思う。
 戦争というのは経済的な問題によって起こる。僕は少なくとも高校生になるまで、戦争と経済について教わったことがなかった。何故教わらなかったのか、といえば教師が無能だったからだ。
 結局、あのクズ教師たちに語ることができたのは「平和最高、戦争最低」というイデオロギーだけだ。つまり、やつらは「戦後気分をそのまま50年間ひきずったひとたち」でしかない。くだらん。
 「平和ってサイコーだよね!だって、戦争はサイテーだもん!」としか言えない人間ほど危険な存在はないように思う。
 大切なのは、戦争というのは大きく見た場合、純粋に「損得」の問題から起こるという認識と、あとは「自分が損をしたって、まあ良いじゃないか」という達観である。
 このどちらもできる人というのは少ない。

8/6なので

はてなブックマーク - 小さなトカゲ展 / チャーハン反対運動
 戦争関連のブックマークをまとめました。

2007年08月04日

実名は「信憑性」を上げるのか?

 先に断っておくけれど僕には、実名ブロガーを実名だからという理由で非難する気はないです、あんまり。
 当然「うわ、この人実名でこんな馬鹿なこと書いてて恥ずかしい」と思うことはあるだろうけど。
2007年08月03日 kameda007 書くと思いますよ。実名で書くから面白いし信憑性がある。でなかったら実名にする必要がない。けれど反論があるということは常に頭に入れておかないとたんぽぽになります。
 この「実名で書くから面白いし信憑性がある。」には若干異論があって、つまりそれは主に「信憑性」についてなんだけど。
 実名は、「本音」を吐露する際には、むしろ障害になるように思う。実名でブログをやることによって、実社会での当人の立場や言動、建前っていうのがweb上にも持ち込まれるわけです。その逆もあります。つまりweb上での言動によって実社会での評価が変わる、という可能性も当然ある。
 そこで良い人を演じることなく、本音が書けるかね。嫌いな物を嫌いと言えるかね。本当に良いと思ったことだけを「良い」と書けるかね。本当に正しいと思ったことだけを「正しい」と書けるかね。

 それでも本音が書ける人っていうのは、余程経済的に余裕のある人か、人と関わらない仕事をしている人か、経済活動を引退した人なんじゃなかろうか、と思います。(そういう人に面白いブログが書けるのだろうか?疑問、というか興味のあるところです)

 そういうわけで僕は、(ブログにかかわらず)実名で言論する人の言う事には「実名フィルター」がかかってると思います。立場上言えないことっていうのがすごく多いと思います。信憑性は薄れると思います。その分、面白さも減るんじゃないかと思います。
 どうですか?奥さん!

(少し補足すると、実名でやった場合には「悪質であまりに明らかな嘘をつく」ってのは抑止されて、そういう意味では信憑性が確保できるのかも知れない、けど匿名ブロガーでもそこまで悪質な嘘をついている人というのは、ほぼ皆無なんじゃなかろうか)
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2007年08月03日

外国語の日本語表記ふたたび

旧・他人の不幸は蜜の味:マッダナルに行こうよ(外国語の日本語表記)
 三年前に書いた記事。
basketball:ベアスキッボー
 冗談のように見えるかも知れないけれど、当人は比較的真面目です。完全に片仮名音のみで話した場合、こちらの方が通じるのではないかと。
 他に思いついた物。

personal computer:プアスナ・カンピュテ
infomation:インフメイシン
eagle:イーゴ
alternate:オータネ
without:ウィダウ
number:ナンブー

CNN:スィーエネン

United Kingdom:ユナイテッキンドン
Ireland:アイアラン

first of all:フルストボー(TABASCOのコピー)
all over the world:オーロバダワー
at the moment:アッダモメン

 でもダメかなあ、通じないかな。

2007年08月02日

メモ)匿名と固定ハンドルと実名

 穴がありそうだけど一応メモ。

 匿名:その時思ったこと、その時正しいと思ったことを書けばいい。過去言ったこととの整合性など問われない。

 固定ハンドル:過去の言動との整合性を問われる。ただ「私の場合」矛盾はそんなに気にしない。固定ハンドルを使う理由は、むしろ自分のためであって、つまり自己を自己たらしめるためのハンドル(アイデンティファイするためのもの)だと認識している。

 実名:自分に不利なことは容認すべきでない。我田引水と言われようが、すべて自分に有利な方向に持ってゆくべきである。

 いや、ごめんなさい。印象操作的になるけど、下に行くほど、ある意味で「自分に甘く」なるというか。いや、「自分のどこに甘いのか」ってのが変わってくるという話かも。リスクとともに活発になる狡猾さとか。
 実名は実名で結構だと思いますよ。しかし、僕が実名でブログやったら、絶対にずるく運営すると思う。今みたいには絶対に書かない。
 今は「○○社の製品はひどいなあ、でも、○○社の知り合いがweb上にいるしなあ」と思っても、「○○社の製品は最悪だ!」って書くわけです。
 でも、実名でやってたら、これは書かないように思う。
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ミックス。

 暑い。クールビズとやらでエアコンの設定温度が変わり、実際問題として仕事が出来ないくらいに暑い。
 以前にも書いたけれど、動物の運動の活発さというのは温度に依存する。低温から高温になるに従って活発になり、程度を越えると動きが鈍化し、死に至る。
 これを僕は子供の頃見た図鑑で知った。蠅を使った実験だった。蠅が死ぬ温度は何度だったろうか、と思って「ハエ&温度」で検索してみた。そこで意外なものに出会った。

ショウジョウバエ・販売リスト

 ハエの通販サイト。

コオロギ・販売リスト

 小動物の餌用のコオロギも売っている。サイズによって単価が違う。サイズもずいぶん細かく分かれている。
 そこで見付けた言葉。
イエコオロギ (ミックス )
 この「ミックス」が可笑しくて可笑しくて、しばらく笑ってしまった。こんな事が可笑しいのも、暑さの所為だろうか。

HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol. (リンゴ)“約束”

2007年08月01日

今日の[これはひどい]

 Googleで「ヘルシンキ幼稚園」を検索したら結果ゼロ件だったこと。

 ひどい。

 フィンランドのヘルシンキ幼稚園といえば、千日前ちなつ&ちあきの出身幼稚園じゃないですか!(大坪千夏と千秋ね。僕は大坪千夏が相当好きでした。今はどうしてるんだろう。)
 多分2004年以降の情報ってかなりweb上にアーカイブされてるんだけど、20世紀の情報って全然無い。この溝っていうのは、どう埋められるんだろうか。

 あと、松本人志が一時期多用してた「マヨネイズ!」の元ネタの映画が何か、とか。そういう事も検索で簡単には分からない。
 webの外って、当たり前だけど依然広い。

 あたりめだけどさ、それを思うのは大切ですよ。
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スモトリ

1.日本の国技において、最も強いといわれた男に対しては敬意を払うべきだ。彼が多少「ズル」をしたって、そりゃ看過されるべきだろう。

2.日本の国技において、最も強いと言われた男は「品位」を持たにゃならん。ズルなんてもってのほか。

3.日本の国技において、外国人が最も強いとされるのは大いに問題がある。

 個人的には、三つとも同意できますが、2.はあんまり好きじゃないです。料簡が狭いから。
 3.は「料簡が狭い」とは違うような気がするわけです。むしろ「ルールをどう作るか」の問題だと思う。
 不思議なのは「女は土俵に上がってはいけない」んですよ。これは、以前もめたけど、そうなってる。でも「日本民族以外は土俵に上がってはいけない」っていうのは、議論もされない、つまりタブーなんですよね。まあ、わかるこたわかるけど。(日本民族って言葉は意図的に使いました)
 言わなくても良いことだけど、なんか中途半端だなあ、という。ナショナリズムも良いんだけど、中途半端ですよ。タブーには触れないけどレイシストでありたい、というのはユルいと思う。
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