2006年06月01日

越えられない壁と埋められない溝

 さっき思い出したんだけど、随分前、あるブログのコメントで「独善的」という言葉を使ったら、「そのような2ちゃんねる用語を使わないでください」と言われたことがあった。
 あの時は驚いたなあ。

6/1あの日あの時

■2004/6/1のわたくし
 仕事に復帰した日。
 空白の二ヶ月がようやく終わった日。

■2005/6/1のわたくし
 その一年後。
 まだまだトンネルの中。

プレゼンテーションに関する大嘘

ピラミッド原則!図にすると、上手く話せる

 つまりは、「言いたいことを図にまとめれば、プレゼンテーションがうまくなる」という言い分でありまして、こういう事は広く言われてるし、言われた方はみんな「なるほど」と感心するのです。
 で、これは一方ではその通りであって、僕自身もよく使う手法です。
 しかし、他方ではこんな事、大嘘なんですよ。

 「図に描けばいいよ!」なんていうのは、飽くまでも「プレゼンテーションが出来る人」の言い分なのです。素質のある人はこれで出来るようになるけど、できない人間というのはそんなもんじゃない。

 どこの会社にもいると思うのです、仕事は出来るんだけど、何を言ってるのかさっぱり分からない人。何かを説明させると、延々しゃべるんだけど、最終的に何が言いたいのか全く伝わらない人。レポート書かせると長大な作品を提出するんだけど、五行読んだらもう読む気がしなくなるような人。

 そういう人にですね、「あなたの言いたいことを図にしてみなさい」と言うとどうなるか。まず、自由に作図させたら想像を絶するようなヘンテコお絵かきを始めるでしょうね。
 上記記事のように枠を与えればいくらかはましになるかも知れないが、ものすごくたくさんの項目を書き出すだろうね、あるいは極端に少ない項目。で、一つ一つの項目にひどい長文を書き込むだろうと思う。
 で、最終的には「一目見ただけでウンザリするような図」が出来ると思う。図にする目的は「一目見てわかるようにすること」なので、全く逆のものができること請け合い。

 ああいう人に足りないのは、「人に伝えるための技術」じゃないんですよ、「人に伝えようとする意志」が無いのね。そういう気持ちのない人って実はいますよ、結構。とにかく自分の言いたいことは言う、相手に伝わってなくてもお構いなし、そういう人。真に問題になるのはこういう人たちだと僕は思う。

 じゃあ、どうすればいいのかってすごく難しい問題なんですよ。意志の問題だからね、ツールを用意すればどうにかなるって話じゃないわけです。身近にいる人が「お前の言っていることは分からない」と言い続けることですね、まずは。そして懇切丁寧に指導する。ありとあらゆる資料、文章を校正する。それくらいしかないと思う。
 こういうのってものすごく基礎的な話じゃないですか。基礎的な問題点を解決する、っていうのは、「lifehack」とか「tips」とか、そういうゆるい話じゃないんですよ。もっと泥臭い話だと思う。

似蛭田妖

 最近恥ずかしかったことといえば、ニーチェに関する記述を読んでいて気付いたんだけど。
 僕は今まで、「ニヒル」の語源はニーチェだと思っていたのです。「Nichir」とかそういう綴りで。全然違ったのね。ニーチェはニヒルの反対ね。とにかく世間ではニーチェって「神は死んだ」で有名じゃないですか。そこの言葉には諦観の印象があるよね。でもニーチェって全然違うんだなということは少なくとも分かった。
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