2006年06月15日

30代以降の「反省」はどうあるべきか。

最近の反省。人の話をよく聞いていないような気がする。

・反省してどうするのか。
・「反省して、それを直します」が優等生的な答え。
・つまり「今後は、人の話をよく聞くようにします」
・まあ、正解。
・反省を元に「自分を変える」ということ。

でも、30歳を超えて自分を変えられるのかいな?と思います。僕はもうそういうの、あきらめてます。

・だから、反省点があれば「僕はそういう行動を取る傾向にある」という意識を持つ。そういう事実を把握しておく。
・つまり「僕は人の話を聞かない傾向にある」という把握。
・話の最後に再度、要点を確認しましょう、会議が終わったら記録には目を通しましょう、それによって、聞いてなかった分の情報を補っておきましょうね、というようなこと。

・少し話が飛ぶけど、エゴグラムなんかも結局は「自分の把握」のための物だと思う。「あなたにはこういう問題があるから、直しなさい」ではなくて「あなたは、周囲からこう見られている可能性が高いですよ」ということ。直すか直さないかは人の勝手。

YouTubeに関するメモ

・YouTubeは著作権という考え方を崩壊させるだろうと思う。

・実は僕はYouTubeの動画をほとんど見たことがないし、ダウンロードを試みたこともない。
・でも最近思うのが「もうすでに、著作権違反は『アンダーグラウンド』ではなくなった」という事。

・YouTubeのリンク集というものが注目されだしてから、少なくともはてなブックマークの世界では「違法動画にリンクを張ること」は、タブーではなくなった。
・例えば、ほんの一年前までは、著作権を侵した動画にリンクを張ることは、ネットの「表社会」ではタブーだったと思う。

・僕自身は、YouTubeと、Winnyに大した差異を感じない。どちらも著作権違反に多用されるツールだという認識。しかし、Winnyを使用していることを公言する人がほとんどいないのに対して、YouTubeを利用し、それを公にしている人はとても多い。

みんな、YouTubeに置いてある動画の多くが著作権法違反であることは理解していると思う。でも、それを普通の感覚で見て、平気でリンクを張り、人に紹介している。

・僕個人としては、このような「なし崩し的な集団違法行為」は大変良いことだと思う。
・既に、旧来からの著作権という考え方は、時代にそぐわないものになっている。しかし、著作権を管理している団体は、自分から変わろうとはしない。
・このようなショックが起きなければ、彼らは変われないだろう。既得権益で飯を食っている組織というのは、そういうものだ。
・これから、著作権や著作権法がどのように考え直されるのか、楽しみではある。

2006年06月14日

「つづめる」

 いとうせいこうが、みうらじゅんに突っ込む時によく使う言葉に「つづめる」がある。
 「北京原人 フー・アー・ユー?」を「ペキフー」とか、「シベリア超特急」を「シベチョー」とか、なんでも略して言いたがるMJに対して、いとうせいこうが突っ込む時。

「つづめてるだけじゃない!」
「なんでそうやって、なんでもつづめようとするの?」
「つづまっちゃってんじゃない!」

 僕はこの「つづめる」という言葉、「ちぢめる」のなまりだと思っていたのです。でも違うんですね。そういう言葉があるんだ、初めて知った。森鴎外や泉鏡花も使っている、れっきとした正しい日本語なんですね。字は「縮める」ではなくて「約める」。
 世の中には知らないことがまだまだある。いやになるくらいに。

・参考:つづ・める 0 3 【▽約める】 - goo 辞書

蕎麦屋に二種類あり

 昨日はチェーンの蕎麦屋「サガミ」に行ったのだけれど、実に不味い。
 特に最近は杉並薮や金升に行き、おいしい蕎麦を食べ付けているので、なかなかショックな不味さでした。不味いというか、味がないのね。
 チェーンの蕎麦屋だから仕方ない、という意見もあるでしょうが、考えてみればそういうおいしい蕎麦屋より高いんだよね、1枚あたりの値段が。これちょっと信じられないんだよなあ。

 つゆも飽くまで甘く、生臭い。「いりこだし」のような臭いがする。最近家では「素材主義」というブランドのそばつゆを使っているのですが、それの方がずっとおいしい。この、素材主義のそばつゆは、市販のそばつゆの中ではなかなかの出来だと思います。ユニー系列のプライベートブランドです。

 サガミで不味い蕎麦を食べながら「蕎麦屋には二種類あるなあ」と思う。つまり「おいしい蕎麦屋」と「不味い蕎麦屋」でありまして、そんなことは当たり前なんだけど、この二つの差があまりに歴然と出るのが蕎麦屋という業態の特性だとも思う。

 どういうわけか「そこそこの蕎麦屋」っていうのは無いんですよ。どんな料理店にも「そこそこの店」っていうのがあって、それは「特においしくはないけど、家で作るよりはおいしいかな」というレベル。あるいは「家ではちょっと作れない(作るのに手間がかかる)」とか。
 そんな感じで、特においしくないけど、そこそこの味で、そこそこ流行ってる店というのはあるものです。その代表がサルタナだったり、ムッシュクロダのラーメンコーナーだったりするんだけど。

 蕎麦屋の場合は「おいしい」の次に「そこそこ」は無くて、一気に「不味い」になるんですね、経験上不思議とそうなっている。
 で、その「不味い」というのは「家で乾麺を茹でて食った方がうまい」というレベルなのね。乾麺の蕎麦というのもおいしくはないのだけれど、でも不味い蕎麦屋で食べるのよりはおいしいと思う。

 そんなことを思いました。

・今度これを買ってみたいメモ:翁達磨 商品紹介 乾麺
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2006年06月12日

今夜十時だねぇ

 いやあ、楽しみだねえ。いよいよ10時からNHK!
 「趣味悠々」!
 今日は「日帰りで楽しむ風景スケッチ『古い町並みを描く』」だよ!

往年のヒーロー

電子レンジや電磁調理器がこれだけ一般的になった今、「デンジマン」ってあまりかっこよくない。

ヨーロッパの諺

意外と知られていない、ヨーロッパの諺を紹介するよ。

・イエスの顔も三度まで
・カーテンに腕押し
・風が吹けばタッパー屋が儲かる
・騎士は食わねどデンタルフロス
・腐っても舌平目
・クリームチーズにかすがい
・転ばぬ先のステッキ
・さわらぬゼウスに祟りなし
・三人寄ればニーチェの知恵
・住めばローマ
・タルタルステーキに釘
・ちりも積もれば掃除機止まる。吸引力の変わらない、ただひとつの掃除機、ダイソン。
・とらぬミンクの皮算用
・猫にヒュペルピュロン金貨
・花よりモンブラン
・早起きは三シリングの得
・パリの敵をロンドンで討つ
・パンはパン屋
・へそでロイヤルミルクティーを沸かす
・牧師にくけりゃ牧師の服までにくい
・シアンにまじわれば青くなる
・焼け石にエビアン
・柳の下のスカンピ
・ルッコラに塩
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6/12あの日あの時

■2004/6/12のわたくし
好きなタイトルのアルバム
 この頃の僕のブログって、文体がうわずっているというか、無理矢理楽しくしようというか、そういう空回りっぷりが強くて恥ずかしい。はしゃいでる感じかな。
 この頃結構、暗澹たる気持ちだったはずなんですよね、そういう実生活と、web上でのキャラクターのギャップがすごくあった時期なんじゃないかと思う。そういう高低差みたいなのがうっすらと感じられて、我ながら気持ち悪い。

スジボリ13

 子供の頃の好物の一つに「しゃこ」があった。大量のしゃこを塩水で茹でただけの物が食卓に並ぶ。それをむきながら食べるのは楽しかった。
 東京の寿司屋で、小さくやせ細ったしゃこを食べさせられた時は、詐欺なんじゃないかと思った。
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老化現象の一つか?

 中島らもが「明るい悩み相談室」への投稿について語っていた時、「面白いことを思いつかないおじさんほど、うんこの話題を出して笑わそうとするけど、そういうのは面白くない」みたいなことを言ってたような気がする。
 この人も、もう歳なのかな…。つーか、僕も気をつけないと。

オマケ

2006年06月09日

パラジャーノフってDVD化されてたんだ!

ざくろの色
ざくろの色


アシク・ケリブ【デジタル完全復元盤】
アシク・ケリブ【デジタル完全復元盤】


 知らなかった。むかしNHKで見て、そのなんかすごい色とヘンテコな演出にびっくりした映画。きれいっていうか、すごい、色が。多分ロシアの南西部の人なんだろうけど、イスラムっぽい雰囲気。乾燥した空気、乾燥した空気の中でカメラのフィルムを回すと、必然的にああいう色になってしまうんじゃないかというような、どぎつい赤色。目がちかちかするような色彩と、そして動き。ひどくチープな演出、不思議とそこに見入ってしまう。

 ゴダールが、もっと素直で素朴で、そしてもっと色彩に自由だったら、こんな映画を撮っていたのかも知れないなあ、というような映画。

 どこかにビデオがあるはずだな。今日帰ったら探してみよう。

ボット問題

なんか最近、ボット、ボットと話題になってるようだけど、ボットといえば源ヱ門ボットだよね。

「お部屋バトン」を勝手に拾う

 ののかさんの所に落ちていたので勝手に拾う。「お部屋」ということですので、比較的過ごすことの多い部屋(PCのある部屋)について。

■あなたは実家?一人暮らし?
 一応一人。

■あなたの部屋に写真はありますか?
 飾ってはいない。袋やアルバムに入った写真はある。写真を撮るのは少し好きになったかも。デジタルカメラは実用のためだけど、ピンホールカメラとマトリョーシカのカメラは楽しみ用。

■あなたの部屋の壁に何か掛かっている?
 かかってないですね。CD棚には和歌山の笑い祭で買ったお面がかかってる。

■あなたの部屋にぬいぐるみはありますか?
 スターウォーズのフィギュアならあるよ。ロボト、ホログラムの皇帝、ジャバザハット、アクバー提督とか。

■あなたの部屋に漫画はありますか?
 しのざき嶺の「Red」がたしかどこかに埋もれているはず。

■あなたの部屋にある機械は?
 パソコン、テレビ、HDレコーダー、ターンテーブル、その他シンセサイザー等々の音響機材。

■あなたの部屋でこれだけは人に負けない!というのはありますか?
 ありません。

■寝るときに必ず周りに置くものは?
 眼鏡と目覚ましと、キッチンタイマー。キッチンタイマーは朝、「あと5分寝たい」とか思った時に使う。

■あなたの部屋は何畳ですか?
 PC部屋は6畳かな。

■あなたの部屋は全体的に何色ですか?
 薄い茶色。

■あなたの部屋で一番多いものは?
 CD。

■ポスターなどは貼ってありますか?
 ありません。

■あなたの部屋で一番目立つものは?
 CD棚とシンセサイザーだと思う。

■あなたの部屋にこだわりはありますか?
 ソファーの上に物を置くな!こだわりというか自分にルールづけたい。

東京タワー

 ちょっと急に不安になってきたんだけど、東京タワーは大丈夫なんだろうか?なんか最近、ブームじゃないですか、東京タワー。で、ともすればおしゃれなスポットだと思われてんじゃねえか?とか、これはものすごい不安。
 東京タワーっていうのはさ、もうひどいスポットなんだよ、あそこは。一体どこから来たんだ、この人たちは?っていう老人会、ジャージ着た爺さん婆さんがいたりする。あれ、どういう行事なのか分からないけど。きょうび、はとバスの客だってもっとちゃんとした服を着てるだろう、というような下駄履き感覚。
 あとは中学生ね、社会見学だか修学旅行だか知らないけど、中学生。で、土産物屋ね、東京タワーの土産物屋。ここのおばちゃんやおじちゃんが、中学生をだましてしょうもない土産を売っている。絵葉書銘菓珍味キーホルダー。主にキーホルダー。そして二穴おやじ。「まけてあげるよ」とかいう常套句。これぞ、モンキービジネス、ザッツ・エンタテイメント!
 僕は、そういう東京タワーが好きだ。昔、百貨店の屋上にあった「こども遊園地」のような、楽しいようで、しかしかなり侘びしいスポット、その象徴としての東京タワーが好きだ。
 だから断じて、おしゃれスポットなんかになって欲しくない。

6/9あの日あの時

■2004/6/9のわたくし
本棚の写真を公開
 やぁ、僕って本当に面白そうな本ばかり持っているなあ、と感心した。
 しかしそれは当たり前だ、ここにある本は(嫁のものは除き)すべて僕が「面白そうだ」と思って買った本なのだから。しかし写真に撮って眺めていると、そんなことを忘れて、つまり自分がこの本を買った、というようなことを忘れて「ああ、この本棚は魅力的だなあ」などと思う。
 写真には、そのような力があるのだと気付く。

■2005/6/9のわたくし
 本当に、覚えてなくていいことを覚えている。波田陽区が流行ってたんだなあ。我ながら痛々しい。

2006年06月08日

制約があった方が楽しい

 僕は最近急に健康おたくになって、会社でもカロリーの話をしたりする。昼ご飯は、スーパーで買った「ほうれん草のごま和え」のみ、なんていうのを見て、同僚は「カロリーを気にして食べ物を選ぶのはつまらないでしょう」と言うけれど、いや、むしろ楽しい。
 今までは「一惣菜」に過ぎなかったほうれん草をメインに据えてみると、ああ、ほうれん草というのはこういう味だったのか、なんていうことを思う。物質的に貧しい生活をした方が、実際そこにある物一つ一つに目が行く。
 考えてみれば北大路魯山人が生まれながらの金持ちだったら、美食家として大成しなかったのではないか。貧乏でなければ、ああいう、素材一つ一つに心を砕くような発想は生まれないんじゃないかと思う。
 そしてさらに、今月は諸般の事情によりお金がない。少ないお金で、いかに食っていくか。そんな制約も出てきた。
 今日の食事はどうしようか、と考える。鶏肉が冷凍してある。嫁がくれた巨大マカロニがある。それを使えば食材を買わなくても良い。鶏肉を焼いて、マカロニを添えるというのが簡単だけれど、それでは味気なかろう。マカロニであれば、クリームソ−スにしたい。牛乳はないし、脂肪も高いので家にある豆乳で代用しよう。しかし、やはりクリームソースなら動物系脂肪が少しは入った方が良い。パルメザンチーズが家にあるから、それをかければいいか。
 などと、冷蔵庫の状況、財布の状況、体脂肪の状況をすべて考えながら献立を練るのは意外と楽しい。
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mixiと誕生日

 僕の記憶では、mixiでは誕生日になるとメールが来るんじゃなかったっけ?
 去年どうだったか忘れたのでGoogleで検索してみると、「HappyBirthday」のバナーがトップに表示されるとか。
 鬱陶しい。機械に機械的に祝われる誕生日なんて、実にいまいましい。

 それどころか、マイmixi全員に「今日はLSTYさんの誕生日です!」みたいなメールが飛ぶらしい。
 ひどい話だ。「この人の誕生日を祝え!」という強制だ。実に気持ち悪い仕組みだと思う。

 そんなわけで誕生日を非公開にしておいた。
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死にたい人は救いなんか求めていない

 まあまあ、リスカの前にうまい棒でも食べて。

 と、冗談はそのくらいにして。

はてなブックマーク - livedoor ニュース - 死にたいと思ったあなたへ、自殺3万人の時代に告ぐ
 すごい不評でありまして、あたりまえです。それはこの人が「私は宗教に救われました!死にたいと思ってる人は僕の宗教においでよ、なんとかしてあげるぜ!」という立ち位置にいるからなんじゃないかな、と。
 死にたいと思ってる人は、なんとかして欲しいとか、救って欲しいとか、そんなことを思っていないでしょう。そんなことも思えないほどになってしまったから、だから「死にたい」のだと思う。

 死にたいという気持ちは飽くまでも個人的な物で、誰にでもこれが効きますよ!なんて特効薬はないし。
 じゃあどうすればいいか。

 まずね、本屋かコンビニで「ザ・テレビジョン」を買ってきなさい。で、一週間の番組表を見てね、何か見たい番組があったらOKです。そこに赤丸を付けてですね、その番組を見る。
 それが今日の夜の番組なら、今日の夜までは生きておく。明日の番組なら、明日まで生きておく。テレビじゃなくても良いんです、例えばAmazonで商品を注文して、それが届くまで生きておく、一週間後に友達と会う約束をしてレストランを予約しておく、週末にザリガニを捕りに行く。なんでもいいから何日かあとに、ちょっと楽しみな予定を入れておく。すごく楽しみじゃなくて良いんです。ちょっと楽しいこと。
 そういうことを積み重ねてゆくしかないのではないかと僕は思う。少なくとも僕は、そういうことを繰り返すうちになんとなく生きてきたクチだ。

 僕が今生きているのは多分、死にたいと思っていた時に嫁が送ってくれたメールのお蔭だ。そのメールには「今日のドリフ、録画しておいたよ」という物だった。

私は如何にして心配するのを止めて餃子を愛するようになったか

 友人が餃子について日記を書いていて、餃子を食べたくなる。
 しかし大いに問題があって、餃子は高カロリーである。
 さらに、ビールも飲まずに餃子を食べるというのは不愉快である。ビールは我慢するとして、餃子を食べたいという欲求とカロリーの問題を同時に解決できないかと考える。

 低カロリーな餃子を、自分で作ればいいのだ、結局。
 挽肉は、鶏肉の物を使うのが良いだろうと思う。例えばツナ、という選択肢もあるけれど、それではあまりに餃子の雰囲気が出ない。
 鶏肉にしても、やはりさっぱりしすぎているだろうし、その脂には豚肉の脂のような味わいがない。そこをどう解決するか。

 そもそも、僕はなぜ餃子を食べたいのか。僕は餃子に何を求めているのだろうか。
 例えばカレーに僕が求めるのは辛さとスパイスの香りであり、オムレツであれば卵の半熟部分であり、それぞれの料理に求める本質的な部分、自分が「最も価値を感じる部分」がある。
 餃子の場合、それは何か。

 多分、臭みなのだろうと思う。大蒜の臭みと、豚肉の臭み。噛んだ時にしみ出る脂の臭み、大蒜の風味、これが餃子の本質だと思えてきた。だから僕は蝦餃子とかフカヒレ餃子とか、ああいう類の餃子をあまり好まない。おいしいのだけれど、そこに僕なりの「餃子の本質」を感じないからなのだ。

 しかし、であるならば鶏肉のミンチで餃子を作る、という計画は頓挫する。鶏肉に豚の脂の旨味を添加する、というのは無理だろうから。
 当初は、鶏肉に、魚介か何かのスープをまぜて旨味を足すという方法を考えていたのだけれど、それではダメだ。餃子には豚の旨味が必要だ。
 たとえば、豚のヒレ肉をみじん切りにして、オリーブオイルに漬け込んでおく、というのはどうだろうか。それも一つの手だと思う。
 あるいは、豚の骨から出たスープを使う、というのは?とんこつスープというのは意外と低カロリーだったような気がする。

 と、ここまで考えて思い出した。うちの冷凍庫には昔煮出したとんこつスープが眠っている。煮込みすぎて茶色く焦げ色が付いているが、味は良い。これを使えばいいのだ。
 これを一旦解凍し、ゼラチンを加えて固める。それをみじん切りにして、鶏肉のミンチに加える。それをベースに餃子を作ろうと思う。明日の夜、とんこつゼリーを仕込んでおいて、土曜の昼にでも料理しよう。

 以上、餃子に対する愛情から延々考えた思考のログ。

2006年06月07日

正しい事というのは往々にしてイヤミだと思う。

 誰に押しつけたわけでもない「referer」の読み方は「リファーラー」がより正しいんじゃないの?っていう記事に対して色々反応があるんだけど、そん中であまりに馬鹿馬鹿しいと思った一言。
こうやって「正しさ」をふりかざしてるのきらい。
 僕は誰にも「だからリファラなんて読むな!」なんて言ってない、「リファーラーの方が本来の発音に近いんじゃないの?」と書いただけなのに、それが正しさを「振りかざす」って事になるのかね。
 ではこの後のSatoshi Tanabeさんの「じゃあまず 'referrer' と正しいつづりで書こうね。」という一言だって「正しさを振りかざしてる」って事じゃないのかね。で、まあこの記事に対する正直な感想はこれだ。
(※rが重なるよ、という指摘についてはfinalventさんからも頂き、参考になりました。ありがとうございます)

 山口瞳が著書の中で「正しいことを知るというのと、正しいことを常に実行するというのは違う。正しいことを常に実行するのはむしろイヤミである」という趣旨の文章を書いていたと思う。
 それは全くその通りで、間違ったことをしている人に対して「こっちの方が正しいんだよ」と言うなんていうのは、実はかなり嫌味な行為だと思う。
 常に正しくあれ、とは僕は思わない。しかし、「こっちの方が正しいんだよ」と言われた時に開き直るような惨めな人間にはなりたくない。

 で、ついでなので僕が「イヤミだなあ」と思いながらも「なるほどなあ」と思いつつ読み、そして実際に勉強になった本を三冊挙げておきます。

礼儀作法入門
礼儀作法入門
   
ヨーロッパ退屈日記
ヨーロッパ退屈日記
   
魯山人味道
魯山人味道
   

2006年06月06日

自分のブログの質とか価値を、なんで他人に決められなきゃならんのか。

シナトラ千代子 - 「はてなブックマークとブログの質」関連のかんたんまとめ
 この後半の、シナトラ千代子さんの意見には同意なのだけど。

 ここ数日、ブログの質がどうだこうだというタイトルを目にする機会があって、実は中身は読んでいないのだけど、そのタイトルを見ただけで正直うんざりしていた。
 なんだよ、はてなブックマークの数がどうとか、そんなことどうでも良いじゃないか、君たちはそんなにまでして他人に評価されたいのか、そこまで他人の目を気にするのか、と思っていた。

 そりゃあ誰だって評価されたい欲はあるし、それを数値化したかったり、まあ、そこら辺は色々。

 でも、そんなこと、そんなに重要なんだろうか?アクセス数や被ブックマーク数にちょっとした楽しみを見付けたり、自尊心の足しにするのは良いけれど、それは飽くまでもオマケみたいな物で、決して「重要」ではないと思う。

 自分のブログの意味や価値って、自分が見いだす物で、他人によって左右される物じゃないでしょう。
 僕は今まで「こんなブログはよまねえ」とか言ってきたけど、そういうことを言った裏には「書いてる本人にとって価値があればいい」という気持ちがある。
 ブログなんて所詮はそれだけの物だし、それだけだからこそ楽しく続けられるような物なんじゃないのか?

 なんかちょっと的はずれになったかなあ。でも、ブログの質を「面白さ」と言い換えるならば、そんな物は「数」で測れるほど単純でもないと思うなあ。なんか、そういうのって違うよなあ、と思うのだった。
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言われて気付く過ぎた日の日記

 あ、あれ?

Slow Jamz - 花粉症?

 そういえば今年は、花粉に悩まされなかった。
 重度の花粉症ではないけれど、毎年数日間はゴミ箱がティッシュの山になるような日があった。それも、普通の花粉症の人よりも少し遅れて、4月か5月頃に苦しんでいたように思う。
 今年は、鼻の止まらない日は1日あったか無かったか。こういう事って、過ぎ去って、人に言われて初めて気付くものですね。
 
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refererの読み方

 アクセス解析で、どのURLからこのページに飛んできましたよ、という「referer」。この読み方なんですが「リファラ」が一般的なんですよね。
 僕は「リファーラー」と書くんですよ。それが多分英語読みに一番近いと思う。アクセントは「ファ」ですよね。

 なんでそんなことにこだわるのかというと「リファラ」っていうのはおかしいんじゃないかと思ってるからです。確かに、特にIT用語の場合、一番最後に付く長音は省略する場合が多い。「メモリー」を「メモリ」と書いたり。
 でも、真ん中に入っている長音を省略するのはその原則から外れているのではないかと。例えば「コンピューター」を「コンピュータ」とは書いても「コンピュタ」とは書かないでしょう。
 そんなことが引っかかって「リファラ」とは書かないのです。いや、本当にどうでもいい話なんだけど。

 いや、待てよ「refer」は「リファー」だけど、「referer」は「リファラー」なのかな。

 一応付け加えておくと、「コンピューター」は、正しくは「カンピュラ」ですからね。

・参考:英語はカタカナではこう書け!

・あまり関係ない追記:ISOの日本語訳(JIS版)では「reference」を「参照する」と訳しているけど、「言及する/関連する」の方がわかりやすいと思う。

・そしてさらに追記:finalventさんによる指摘記事あり。「referer」は恐らく和製のつづりで、正しくは「referrer」ということですので、やはり正しい読みとしては「リファーラー」が近いと思います。しかし次にでる疑問は「じゃあ、refererというつづりは、どこから発生したのか」だな。暇な時に調べます。
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2006年06月05日

6/5あの日あの時

■2004/6/5のわたくし
リスクを負わない発言に耳を貸すべきか?(ネット上の匿名性)
 今日、ちょうど思った。今のブログやHNを捨てて、新しくブログをやったら気持ちいいかな、とか。沢山の人に読んでもらえるというのは、喜びであると同時にプレッシャーでもある。自分の虚栄心を無駄に刺激する側面もある。とりあえずリセットするというのも一つの手だ。
 ただ、それができないのは、ゼロから始めるのが億劫だからだ。僕は、ブログには「ちょうど良い温度」があると思っている。ちょうど良い読者数、ちょうど良いアクセス数、ちょうど良いコメント数、そしてちょうど良い関係。そういう温度の中でしか書けない記事。
 多分、livedoorから移転する前後がそういう時期だったのだと思う。ただ、僕はあえてそこにとどまろうとはしなかった。それだけのことだと思う。
 ブロガーには、今の位置にとどまって書き続けたいと思う人もいるし、そうでない人もいる。そんなこと気にもしない人もいる。そういう物なのだと思う。

■2005/6/5のわたくし
6/4-5日記(大魔神・sakusaku・落語)
 「水戸黄門+巨大ロボ=大魔神」って良いなあ。こんな事考えてたんだ。
 しかし、覇気がないよな、この文章。枯れてる感じ。1年後に自分が健康オタク化してるなんて想像していない日々。

第二日本テレビはもうちょっと頑張って欲しい

第2日本テレビ、5年ぶりとなる松本人志の新作コント「ザッサー」を配信
 なるほど。
第2日本テレビ
 げっそり。
第2日本テレビ - 松本人志商店/HITOSHI MATSUMOTO STORE
 げっそりげっそり。
第二日本テレビのサイトがひどすぎる件について 〜いつか来た道〜 : akiyan.com
 この頃よりはマシになってるけど、五十歩百歩なんだよなあ。
 多分、テレビ局の人というのは「多チャンネル化」という物を正しく理解していないんだよ。単純に「選択の余地が増えた=より魅力のあるコンテンツを用意しなければ」としか思っていない。
 多チャンネル化とかオンデマンドの本質は、「情報を発する」のではなくて「情報を持ってるから取りに来てね」なのだ。そんなの当たり前だと思うんだけど、テレビ屋にはなかなか分からないんだよなあ、多分。
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祇園祭

 昔、学生の頃に偶然、京都の祇園祭を見たことがある。
 その頃って京都の駅ビルが景観を壊すというので色々揉めた後だと思う。
 あの駅ビルもひどい物だけど、それ以前に沢山のビルによって京都の景観なんて破壊しつくされていて、町のメインストリートは立派に醜悪だった。
 ビルとビルの間の狭い空に、山矛が見える。チリンチリンと鐘を鳴らしながら、文化が踏みにじられているような町を行く。
 その様子、文化が殺されつつあり、かといって経済的に栄えているわけでもない京都という町を、それに気付かないふりをして進んでゆく山矛を見て、僕はどういうわけだか泣けてしまった。
 滅びゆく物特有の美しさを感じたのだと思う。
 日本というのは滅びゆく国なのではないかと思う。僕の愛国心というのは多分そういう部分に発露する。日本という国がいかに滅び、いかに死んでゆくのか、美しく朽ち果ててくれるのだろうか、それを見たいとも思う。

 この記事を読んで、国、あるいは愛国心について考えた時に、そんなことを思い出しました。

性質の違う物を一つの場に閉じこめるということ(2ch系ブログ閉鎖関連)

 少し思いついたこと。
 あらゆるファン・マニア・おたくの世界には派閥があり、区分がある。「おたく」というくくりは大きすぎて適切ではない。
 例えばアイドルファンなら、テレビ番組を見るタイプ、グラビア誌を見るタイプ、イベントに行くタイプ、色々いる。
 そして、一部のディープなファン以外は、全部は見ない。テレビ・雑誌・イベント会場などそれぞれの「場」で、アイドルを楽しむ。異なるタイプのファンが異なる場で楽しむから、衝突が生じない。
 2ちゃんねるの場合、「2ちゃんねらー」というくくりは意味を持たなくなっている、それほどにユーザーが多様化しているのに、彼らは2ちゃんねるという一つの場にいる。どこのスレッドにいるかは違っても、2ちゃんねるという場にいる、あるいはwebという場にいる。
 それが衝突を、より深刻な物にしているのではなかろうか。
 と、思いついたんだけど、違うような気もする。

2006年06月02日

ニントスハッカッカ!

 たまに思い出す。小松政夫のギャグ「ニントスハッカカ!マー、ヒジリキホッキョキョ!」この言葉、一体何を意味しているのか。
 当初は意味のない言葉だと思っていたのだけれど、wikipediaによると「小学校時代の担任の女の先生が小松を励ました時の言葉」から来ているらしい。この情報、たしか徹子の部屋だかのトーク番組で本人が語ったとして、2ちゃんねるのスレッドに書かれていたように思う。
 それで、最初に思ったのはこの先生すごいなー、ということであった。なんかすごい電波な先生なんだろうか?とか。
 でも、考えてみればそれ以上にすごいのが小松政夫だ。今聞いても分からないし、当時はもっと意味不明だったろう「ニントスハッカッカ!マー、ヒジリキホッキョキョ!」こんな言葉を、いつまでも記憶し続けていた小松政夫の脳みそ、言語野っつーのかい?相当すごい脳みそだ。

スパゲティーの食べ方

スパゲティーがぐーらぐらぐらー♪
 ここのコメント欄でfujiponさんに催促されたので、ごく簡単に。
 まず、基本的な巻き方については飛ばします。各自わかっているだろうし、スプーンの上で巻けばうまくいきます。ここらへんが知りたければ伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」を読んでください。
 ここでは、この本に書かれていないことを書きます。で、これは僕が考えた「スパゲティーをすすらずに食べる方法」です。
 原則は二つだけです。

1.巻けていない部分を可能な限り少なくする。(上図赤丸の部分)
2.口からはみ出た麺は吸わない。


 これだけ。

 1については、失敗したら巻き直してもいいから、とにかく少なくする。つまり、麺を口に入れた時に、口の中に収まりきらない麺をなくす、ということです。上図ではかなり多いくらいですね。赤丸部分がこの半分以下になるのが理想的だと思います。
 考え方としては「麺の団子」を作って、それを口の中にそのまま入れる感じ。そして、原則としてそれがすべて口の中に入ってから口を閉じる。
 
 そして2が難しいですよね、多分。日本人にとって麺は「すする物」だから。それが常識だから。でも、スパゲティーはすする物ではないので、息を吸わず、少しだけ口を開け、舌を使って麺をたぐる。そうやってはみ出した麺を口の中に入れる。
 1の段階で赤丸部分を極力減らせば、口に収まりきらない麺は無いか、あってもほんの少しになるはずですから、舌で少したぐるだけで口に入ります。

 以上です。言っておきますけど、これは僕の食べ方で、正式な物じゃないかも知れないですよ。最低限「音を立てない」ということを目指した食べ方ですから。

疲れ気味マッチョマン

 精神的な疲労を紛らわすためには、体を動かすのが良い。
 無心に運動をすれば、精神的な疲労はかなりやわらぐ。
 ただ、その代わり、結果として身体的な疲労は残る。
 精神的な疲労から、身体的な疲労への変換が行われるのである。
 これを疲労コンパイルと呼ぶ。
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