他の人もそうだとすれば、ブログから、その人が日本語のルールを知っているか否かを判断することはできない。
でも、ビジネス文書を読むと分かりますね、その人が最低限の日本語を使えるかどうか。で、十中八九、出来てないね。あと契約書ね、契約書を書かせると、その人の能力って大体わかりますよ。まあ、これについては全く書けないですよ、大方の人は。
最近、ブログで乱れた日本語ばかり使っているので、自分の日本語能力が低下してるような気がする。要注意。
ululunに 言われて気付く レッテルは以前から何度か、ululunさんに「LSTYはツンデレ」と言われていて、これが最初だと思うんだけど、その後も言われた覚えがある。
貼りたくはあり 貼られたくなしチタン楼古木
オーバードクター?(Over Doctor)の略。ふーん。
博士の学位を取ったにもかかわらず、就職先がない人たち。
もっと積極的活用を企業は図るべきである。いやー、世の「先生」というのは、相も変わらずお気楽だなあ。なあーにが「図るべきである」だよ、と思うんだけど、この先生は「図るべきである」と思ってるんだなあ。
押井守が「インターネット嫌い」って言っていて、それも意外だったんですけど「僕はスタンドアローンな人間でいたいので」と続けていたのが面白かったです。書きながら自分でトンデモ論法だなあ、と思っていたのですけど、でも、あながち間違いではないのかも知れない。人間は知ることによって合理性や効率性を獲得できるかも知れないけど、自由を得ることはできないのではないか、とか。じゃあ、自由ってなんなんだよと言う話になるか。社会思想とかの話になってしまうのか?そういう自由じゃなくて、なんだろう、なんか、「自由な感じ」の話なんだけど。なんか最近、こう自分の考えとかが何かに収束されつつあるというのかなあ、固定されつつあるというか、そういう感覚。
知ることとは快楽でもあるけれど、拘束であり不自由になることでもあるのかも知れないです。そう考えるとギリシャ哲学者なんてしょうもないなあ、とも思えてくる(笑)
よく知らないけど、脳みその中身も、いろんな細胞がいろんな線でつながってるわけでしょう。多分、知るとか記憶するっていうのは、細胞と細胞のつながりを多くしたり、強くしたりすることなんですよ。そうすると、分子の結合と同じように、硬直化するわけですよね、変化する余地がなくなる。mixiで、他の人の日記に書いたコメントの一部
栄養失調が疑われる児童に、校長がこっそり牛乳を飲ませている小学校がある。はたして牛乳が本当に健康に良いのかって話ですよ。